蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

同窓会へのお誘い

2010-03-13 11:16:45 | 日常雑感
3月12日(金)晴れのち曇り、暖かな一日。

  先日、思いがけない電話を受けた。それは、私が、4歳の時疎開した山陰の小市、そこの高校の50年目の同窓会への誘いであった。
   私はその高校の同窓生ではなかった。只、その中の大方が小学校時代一緒だったというだけの理由だった。

 私は、態々電話をかけてきてくれた旧友Y君の好意を謝しつつも、遠まわしにその高校の卒業生でもないことを理由に、出席を遠慮する旨答えて電話を切った。
    それから、旬日もも置かず、今度は会の詳細な内容を説明した案内文の封書が送られてきた。

 レンゲの花模様が薄く印刷された便箋に、なよやかな女文字で私の幼ないときの呼び名で、是非出席して欲しいと優しく記されていた。幹事の一人であるIさんは、小学校1、2年だけが同クラスだっただけなのに、私のことを覚えていてくれたという。
私の心はたちまち大きくぐらついた。

  名簿が同封されていた。88名の少し大げさに言えば日本全国に散らばった参加予定者のうち、その面影を思い出せる者は、十数名に過ぎなかった。

  だが、その中に、我が家の筋向いに住んでいて、共に近所の数歳年上の性悪のいけずに苛められた今は懐かしいK君の名があった。
   毎日のように学校の帰り道、手を繋いで帰ってきて、我が家で宿題か何かを一緒にした覚えの微かに在るM子ちゃんの名もあった。
 行ってみようかという気になった。会場は、熱海のKホテルとあった。我が家からは車で3時間ほどのところである。
 思えば、誰が、こんな老体にラブコールを送ってくれるだろうか。これを無にしては撥が当たると思った。
 此れこそは、天の声かと思えてた。

 今や吾が人生、後十数年あるかなしかの瀬戸際に来ている。
 物ご心ついて初めて出会った者たちと、夫々の人生をほぼ一巡りしたところで、一晩しみじみと一杯の酒を酌み交わし、越し方を懐かしみ、近づきつつあるお互いの永久の別れを前に語り明かすのも悪くないな、これも、人生のけじめの一つかと思えてきた。

  来月、中旬のその日、果たしてどんな出会いがあるのだろうか。久しぶりに今から微かな胸の高鳴りを覚える。