先日の朝日新聞に、別の小説原稿の裏に書かれた原民喜の未発表原稿が発見され、それが『三田文学』の春季号に掲載されるというので、どんなものだろうかと荻窪の八重洲ブックセンターに注文しておきました。
それが今日(10日)、発売日に入荷したということで、昼食がてら受け取ってきました。
〈asahi.comより〉
被爆体験をつづった「夏の花」で知られる作家、原民喜(1905~51)の未発表原稿が見つかった。47年に発表された短編「雲の裂け目」の初期段階の草稿とみられるが、文章はまったく異なる。民喜は普通の社会生活を送るのが困難なほど極端な無口だったとされるが、発表稿にはない、〈一人立(ひとりだち)の出来ない大人になつてゐた〉原因が草稿には直接に記されており、民喜の人格形成の原点に迫る資料として注目される。
草稿は、遺族から広島市立中央図書館に寄贈された遺品1400点余りの中から、民喜の研究者である「広島花幻忌の会」会員の竹原陽子さんが見つけた。戦前に発表した原稿の裏に5枚にわたって書かれていた。(3月11日『朝日新聞』)
一般の読者として読んでみると、自分の両親、特に父親に自分を重ね合わせ、自分と妻の関係について言い訳をしているような作品で、あまりおもしろいものではありませんでした。
発見者の竹原陽子氏の解説が同時掲載されています。
竹原陽子氏の解説の詳細はともかく、僕が読んだ印象は、草稿というより、それ以前の下書きあるいはメモ書きに毛の生えたようなもの。
これって、活字にして発表するようなものだろうか、と思ってしまいます。
未定稿とか草稿といわれるものの中にはたしかに名作も少なからずあり、それが完成される前に作者が夭折してしまったために、その段階でしか読むことができないならそれはそれで価値があります。
しかし、文章がまったく異なろうがなんだろうが、完成された「雲の裂け目」という作品があるのにその下書きとわかっているものを公表されるということは、作家にとってはらわたを覗き込まれるようなものではないでしょうか。
原民喜は、なんでそんなものを残しておいたのか、その真意はわかりませんが、いずれだれかが公表するだろう、なんて考えてのことではないでしょう。
僕が原民喜の立場だったら、イヤだなあ。陶芸家が失敗作をたたき壊すように、消滅させます。
研究者が作品の完成に至る経過を研究するためにならともかく、一般の雑誌に掲載するのはスキャンダルを喜ぶ感覚に近いと思うのです。
存在だけを知らせて、原本は広島市中央図書館で、必要な人にのみ公開されれば良いのでは。
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