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monologue
夜明けに向けて
 



 1964年1月、哲学や詩を好む学生がフロリダ州立大学からカリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)映画科に編入してきた。かれの名はジム・モリソン(Jim Morrison) 本名 James Douglas Morrison、同じクラスにフランシス・フォード・コッポラ、レイ・マンザレクらがいた。ジムとレイは『知覚の扉』The Doors of Perceptionから命名した「ドアーズ」というバンドを作り、これまでのポップ音楽になかったストーリー性をもった 「ジ・エンド」のような歌作りをした。フランシスは後年このクラスメイトたちの曲を自らの傑作地獄の黙示録に使用して成功した。64年の映画科のクラスメイトたちはその才能をこの映画に結集したということになる。

 ジム・モリソンはステージを演劇として見せ、自分の人生もまた一編の映画として鑑賞する者に提供したアーティストであった。「ジム・モリソン Jim Morrison」のアナグラムとしてかれは自らを「ミスター・モジョ・ライジン Mr. Mojo Risin'」と呼んだ。それはマディ・ウォタースの名曲I Got My Mojo Workingのもじりだがモージョとはブードゥー教の呪術や人形のことで自分をそんな超自然的な力をもつ存在とみなしたのである。

 1971年7月3日、ジムは27才で人生の幕をパリのアパートで下ろした。バスタブの中で発見されたことで公式には心臓発作だがヘロインの過剰摂取や暗殺説、実は生きていてマスメディアから姿を隠したなど様々な噂が飛び交った。それもかれの制作した「ジム・モリソン、モジョ」映画のラストシーンとして重要なプロットだったのだ。

 めでたし、めでたし、みんなハッピー、のディズニー映画的エンディングにはとてもできなかったのだろう。
fumio

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