monologue
夜明けに向けて
 



1969年11月7日からスタートした全米ツアー中、ローリングストーンズのミック・ジャガーは記者会見に臨んだ。矢継ぎ早の記者の質問に"Free concert in San Francisco" "When?" " December 6th"と答えた。

そのときはまだ場所は決まっていず予定していたゴールデンゲートパークは警備問題などで市に断られ二転三転して最終的にサンフランシスコ郊外リヴァモアのオルタモント・スピードウェイに決定した。

 それは8月に開催された東のウッドストックフェスティバルの成功を受けて西のウッドストックとしてサンフランシスコでもフリーコンサートをやろうと企画されたコンサートだった。
それがローリングストーンズのツアーと重なりトリとしての出演場面が「ギミー・シェルター」というローリングストーンズの公演のドキュメンタリー映画に収められることになったのだ。

 ところがウッドストックとは違い、コンサートは荒れ、場内整理のために雇われたヘルスエンジェルズのメンバーがジェファーソン・エアプレインのボーカル、マーテイ・ベイリンの顔を殴ったり 収拾がつかなくなる。
 あっちでもこっちでも小競り合いや喧嘩が起こりヘリコプターで乗り込んできたローリングストーンズにももうそれを収拾することはできなかった。
 
 演奏を始めても治まらない喧噪の中、「Under My Thumb」の演奏中に オルタメントの悲劇と呼ばれる殺人事件が起きていた。メレディス・ハンター(Meredith Hunter)という18才の黒人青年がステージ近くの乱闘に回転式銃(リヴォルヴァー)を向けて警備のヘルスエンジェルスのメンバー、アラン・パサロ(Alan Passaro)にナイフで背中を刺されたのだ。メレディス・ハンターは銃を出したので、アラン・パサロは正当防衛で無罪となった。

 この事件で60年代の夢、混沌と頽廃、ドラッグと花とセックスによる改革は終焉を迎えた、と多くの人々は認めている。「愛と平和」を唱えたヒッピーや若者たちは目の前に迫る70年代の現実に立ち向かわねばならなかったのだ。
fumio



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