monologue
夜明けに向けて
 




1991年11月29日午後3時

 その日、わたしは自宅で自作の歌を何度も録音し直してヘトヘトになって熱い風呂に入った。長くつかり過ぎていたらしい。湯あたりでボーとしてきた。風呂からあがろうとしても立ち上がれなくなっていた。頭がのぼせて足で風呂桶をまたぐのはもう無理になっていた。
そのまま洗い場に倒れ込んで脱出した。尺取虫のように壁際まで進んで湯気の中でのびていた。そのとき、息子が学校から帰ってきて風呂場に倒れているわたしを見つけソファベッドに横たえた。
 翌朝、妻はわたしが白眼をむいて尿失禁しているのに気づいて救急車を呼んだ。
妻が住所を教えて受話器を置く前に救急車のサイレンが聞こえた、という。
救急車の中で妻はなるべく費用の掛からない病院を探してくれ、と頼んだが救急隊員はそんな余裕はない、脈が弱まってとぎれかかっている、とあせって応えた。それで運び込まれた最寄りの病院が東川口病院だった。
藤原脳外科医師が頭を開くと血液が脳全体にまわっていた。脳内出血だった。妻はその血の量に愕然とした。出血後、二三時間置いておいても危ないのに一晩寝ていたので広範囲に血がまわってしまったらしい。妻が手術承認のサインをすると頭蓋骨を切り取り血を抜く手術が行われた。切り取られた骨は冷蔵庫などに保存するより自分の体にしまっておく方が腐敗などしにくいので右太腿部に埋めて保存された。
脳の中身が治るまでの間、右脚の太腿に貯蔵のために埋めてあった頭の骨を元の切り取った箇所に填(は)め込む手術はそれから約一か月後のクリスマスの日に行われたのであった。
手術後の回復期、わたしは「われは龍神、これから崇凰(すうおう)として勞(はたら)く」と宣言して大暴れした。それで点滴に鎮静剤を入れられておとなしくさせられたのである。
それが新たなプロジェクトの始まりだった。
fumio


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