monologue
夜明けに向けて
 



当時、東川口病院にはまだリハビリテーション科というセクションがなかったので脳内出血の治療後リハビリもせずフラフラしながら妻の運転で帰宅した。その頃、わたしは書院というワードプロセッサーにモデムをつけてその頃流行していたワープロ通信を始めていた。ニフテイのコミュニテイで文学フォーラムに入ってみたりしたがさっぱり面白くなくて他のフォーラムを探しているうちに世紀末という言葉に惹かれてFARIONAに入った。そのFARION(世紀末フォーラム)というフォーラムには宇宙神霊ARIONが待っていて次のようなハローメッセージというメッセージを毎日発していた。
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 92年05/01 ★世紀末フォーラム★へようこそ NAMEさん(*^^*)
93年08/02 龍神は目覚め水の変化を知り、麒麟は風の声に訪れを聞いた…
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手術後、見舞いに来た妻の記憶によると、わたしは病院で暴れて龍神、崇凰(すうおう)として勞(はたら)く、と宣言したというがこのハローメッセージはわたしに向けてのものだったらしいのであった。
わたしはそのフォーラムで『炎で書いた物語』というシリーズを連載することにしたのだが自分にそのような文章を綴る能力があるのか、なにか不安だった。それで近くの弁天様に百日詣りをすることにした。八月の暑い日から11月11日の満願達成の日まで毎朝6時にお参りした。その百日詣りをし終えた日「炎で書いた物語」のシリーズの番外編をSというハンドルネームでアップしたのだった。そういうことで『炎で書いた物語』は1995年の11月11日に以下の『炎で書いた物語』番外編から始まったのである。
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『炎で書いた物語』番外編


  わらべうたには意味がわかるようでわからないものがある。
別に気にも留めずに歌い遊んで大きくなって、いざ自分が子どもに教える立場になったとき、その意味を訊ねられても説明できないことにはじめて気がついて驚くことになる。
その代表が「かごめかごめ」と「とおりゃんせ」である。
このふたつのわらべ唄には時の封印がしてあった。
そのために、だれもが知っている唄でありながら説明を求められると、だれもが首をひねる、ということになった。
 
 わたしは以前、「かごめかごめ」は豊臣家再興の軍用金のありかをわらべ唄の暗号にして残してあって、それを解いた者が天下を取る、という伝説を聞いたことがある。
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かごめ、かごめ、かごの中の鳥はいついつ出やる
夜明けの晩にツルとカメがすべ った
うしろの正面だあれ
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 幼い頃の記憶の中に埋没していた、この一見、簡単そうで不可解な歌詞に秘められたロマンに心惹かれて様々な暗号解読の方法を鍵に使ってトライした。
だがどこにもピッタリの鍵はなかった。
「蔓と瓶が滑った」というのは、大阪城の篭の目のような形の井戸の底に鳥(財宝)を蔓と瓶で沈めたのだ、と考えたりした。それは残念ながらあまりにも的外れな解釈だった。
出発点から外れていては目的地にたどり着くわけがない。
どうどうめぐりをくりかえし、ついにはあきらめて、
いつしかそんなことに興味をもったことさえも忘れてしまった。
そして時は流れ、二十世紀も終ろうとする現在、様々な書籍やメディアで、かごめ唄の謎の解明が進むのを目にする時代に入った。時の封印がついに解けたのだ。
しかし、わたしはまだ「と おりゃんせ 」の解読にはお目にかかったことがない。
こちらはまだ封印が解けていないのだろうか。
そんなことをあれこれ考えているうちに、ワープロの画面を見疲れた目が痛くなってきたのでしばらく瞼を閉じた。すると朝が早かったせいか、うとうとしてきた。
そのとき、丸い日の輪のようなまぶしい光が瞼の裏にまで射し込んで眠気が失せてしまった。天気が良いので散歩に出ることにした。いつものコースより一足伸ばすと、お地蔵様の堂のような小さな祠があった。お辞儀し て、覗き込むと中に石が安置してある。よく見ると表面に弁財天と彫ってあった。
「あれっ弁天さんだったんですか。お地蔵様かと思いました。これは失礼しました。
ところで弁天さんは何の神様なんですか」と訊ねた。
「智恵を授けています。英語でいえば インスピレーションという形で与えます。
発明、発見、学問、芸術を司っています 」
「そうだったんですか。すみませんがわたしにも智恵をお分け下さい。今ちょっと財布を持ってきてないんで、お賽銭は払えないんですが」
奉納と書かれた賽銭箱に気づいてわたしは空のポケットを叩いた。

「わたしは自動販売機で はありません。小銭で智恵のパックが転がり出るわけではないのです。必要な人に必要な時、必要なだけ授けるのです」

 わたしは自分がどんな智恵を必要としているのか、すぐにはわからなかった。
「世界が動ような偉大なインスピレーションをいただけませんか」
とあつかましく頼んでみた。こんな機会はもう二度と来ない 、と思ったのだ。
「それはあなたの分ではありません。あなたには荷が重すぎます。分不相応です。あなたに今、必要なのは、(通りゃんせ)の謎解きでしょう」
「ああ、そうでした」
わたしはその用事でここに来たのだ、と思った。
すると 、辺りの小鳥の声が消えて車の騒音も途絶えた。
どこからか歌声が聞こえる。
それは鼓膜がふるえて聞こえる音ではなかった。
わたしの内側から聴こえてくるのだ。魂が共鳴している。
幼い頃、耳にした「通りゃんせ」とはまるでちがう澄んだ響きだった。
わたしは頭を垂れてうっとりと立ち尽くしていた 。
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とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神さまの 細道 じ ゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
ご用のないもの通しゃせぬ
この子 の七つ のお祝いに
お札をおさめにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ通りゃんせ
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 弁天様がその歌声の裏でゆったりと語り始めた。
「この唄はあなたがたが実在界から現象界(この世)へ降りる際に開かれるセレモニーの唄なのです。みんな生まれる前にこの唄を聴いているのです。
まず、そのことを頭に置いてください。
そこから出発して考えれば、個々のことばの意味が自ずからほどけてきます」
と、弁天様は前置きした。わたしには実在界と現象界ということばの使い方がよくわからなかった。弁天様の口ぶりでは、弁天様がいるのが実在界で、わたしたち人間がいるのが現象界ということになる。
わたしたちたちは元々、弁天様と同じ世界に暮らしていてそこからこちらにやってきた、ということらしいのだ。その時、開かれる儀式の唄が(と おりゃんせ)である、という。
 わたしが一応、理解を示した様子を見届けて弁天様は続けた。
「かごめ唄もそうですがこの唄もほとんどの語が二重三重の意味をもっていて複雑にからみあっています。
(とおりゃんせ)------  表面上の意味は(お通りなさい)ですが陰意は(十理あんせ)です。
十理とは十の理、 十は神を示す印、縦の棒をカと発し、横棒がミ、カミの理(ことわり)ということです。かごめ唄の(かごの中の鳥)、鳥(トリ)すなわち、十理も同じことです。
(十理あんせ)とは神の理がありますように、という祈言(のりごと)、すなわち祈りのことばです。(十降りやんせ、十居りやんせ)と書けば見えてくる、(神様、降り てくだ さい、居てください)、という祈言でもあります。
意味を知らない子どもたちでも「とおりゃんせ」をくりかえして歌えば、
その音霊(おとだま)、言霊 (ことだ ま)は力を発し、神の理を実現するのです。
神の理とは物理を超える神理 (真理)です 。

(ここはどこのほそみちじゃ)----- (ほそみち)には多くの意味が隠されています。
まず、表面的には細い道、すなわち天神様への狭い参道ですが隠された文字は、臍道(ホゾミチ)なのです。ホゾとはヘソ、ありとあらゆるものの 中心、そこに天神様が座します。ミチは道、未知、霊智の意を含む深いことばです。天神さまの参道とはだれもが通ってくる、母の産道であることを知れば、細道が臍道であることが見えます。現象界は物質界なので現象界で働くには物質としての肉体が必要となり、魂の一生の乗り物として個々の肉体をいただいてこの世に下ってくるのです。
(ちょっと通して下しゃんせ)-------天界から臍道を通して地上界へ下(くだ)しあんせ、と頼んでいるのです。
(ご用のないもの通しゃせ ぬ)---------もちろん、だれでも用もないのにこの世に下ろしてもらえるわけではなくそれぞれの役目、使命、ご用を授かった人だけが選ばれて生まれてく るのです。
(行きはよいよい)----行きは息、生き、意気、の意を含んで、この世に生まれることの希望、喜びを指しています。
(帰りはこわい) ----- 行きの反対、帰り、すなわち死への畏れと、現世で犯した罪に対する死後の裁きの恐怖を顕しています
(こわいながらも通りゃんせ)----死や裁きがこわくとも覚悟を決めてお通りなさい、と念を押しているのです。すべての方は大切なご用を果たすために決心してこの現象界へ降りてきたのです。この世にある間にそれぞれのご用を立派に全うしてください。あなたがたが長い間、忘れてしまっていた、(とおりゃんせ)の様々な意味を時折、思い出して、気持ちを新たにしてくださ い。神理(真理)達成の時代は間近です」
 
わたしは椅子からずり落ちかけて、はっと目覚めた。うとうとしてからどれほどたったのだろうか。今のわたしの役目はこのことを書きとめておくことらしい。
わたしは瞼をこすりこすり、ワープロのキイを一つずつ確かめながら打ち始めた。「炎で書いた物語・番外編」と…。( 了)
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fumio




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