monologue
夜明けに向けて
 



 父親の入院は小学4年の息子にとっても大変な試練だった。母親は仕事に出て一日中いないし小学校から帰宅しても家にはだれもいない。作り置きしてある夕食をひとりで食べて眠るだけの毎日。日曜日も母は仕事で帰りは遅く休みというのにポツンとひとりで過ごすだけの寂しい一日だった。
 
 そんなある日、母親が一度子供にとってはものすごく遠い武蔵村山病院まで一緒に行ってバスと電車の乗り継ぎを教えてくれた。そのとき、家から最寄り戸塚停留所バス→東川口JR武蔵野線・府中本町行→ 西国分寺 JR中央線快速・豊田行→ 立川 徒歩 立川北 多摩モノレール・上北台行 →桜街道 徒歩35分 武蔵村山病院までの切符の買い方や何回も乗り換えする道順を一生懸命憶えたのである。それで息子は次の日曜日に決死の思いで武蔵村山病院目指してひとりで出かけた。それは子供にとっては大冒険だった。この時ずいぶん精神的に生長したことだろう。やっとの思いで辿り着いた病院では日曜日でリハビリもないわたしがそんな息子の苦労を察して労(ねぎら)うこともせずみんなとのんびりと将棋を指したりしているだけだった。それでも息子にとっては日頃会えない父に会えたことがうれしかったらしくそれからかれは毎週日曜日になると律儀に病院に見舞いに来るようになった。病院で半日ほど過ごし患者さんたちにトランプやオセロその他で遊んでもらって暗くなると冬の寒さの中を多くの交通機関を乗り継いでひとりぼっちの寂しい家に帰っていった。そんなことをかれはわたしが退院する春まで続けたのであった。かれにとってもその後のために一般社会と隔絶した世界に生きる人々を見て触れておくことが必要だったのだろう。
fumio



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