monologue
夜明けに向けて
 



 画家、ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir)はリューマチ性疾患のために車椅子で指に筆をくくりつけて描いたという伝説がある。作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は27才頃から難聴になり30才のころにはほとんど耳が聞こえなくなって自殺を考えている。かれらはそんな試練を乗り越え傑作を後世に遺している。かれらにはそんな試練などない方がもっと多くの良い作品を生めて人類に寄与できたのではないかと思ってしまう。

 わたしの場合は舞台の稽古で役者として最も大切な身体の自由を制限される頚椎損傷の試練を受けた。役者がダメなら他の能力を活かして生きなければならない。それでリハビリのつもりで最も初期のヤマハのミュージックコンピュータを使って曲を打ち込み始めた。実はわたしは日本に帰国した頃、島健と六本木の「アマンド」 というカフェで会って日本の音楽業界の様子を訊いた。そのとき、かれは最近コンピューターの打ち込みばかりになってしまったと嘆いていた。わたしもコンピューター打ち込み音楽全盛になってはいけないね、と賛同して盛り上がったことがあったのである。皮肉なものでそのわたしも楽器を弾けなくなってはコンピューターに頼らざるを得なくなってしまったのだ。

 ある日『手をかざしてごらん』 という歌を仕上げているとき、六七十代位のご婦人の来訪を受けた。ご主人が亡くなってから地域の民生委員を引き受けて、あたりのお年寄や病気の方の家を訪問しているという。色々話していると、今作っている歌を聴きたいというのでコンビューターをカラオケにして歌ってみせた。歌い終わってご婦人の表情を窺うとなにやらこわい顔をしている。わたしは不安になって声をかけようかと迷った。

 すると突然、、うおわぁぁーん、うわわわぁぁぁー、と吠えるような叫び声があがった。わたしはびっくりして対処に困った。ひとしきり、叫びが終わって落ち着いた婦人は涙を拭きながら少しはにかんで、「わたしは、情の強(こわ)い女で何十年も泣いたことがない。去年、夫が亡くなったときも泣かなんだ」とおっしゃった。そのとき、コンピューター打ち込み音楽であろうとなんであろうとそこにいのちがこもっていれば良いのだとわかったのである。
fumio


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