monologue
夜明けに向けて
 



 その日、スタックスレーベルの誇るセッショングループ「Booker T & the MG's」のオルガニスト、ブッカー・T・ジョーンズは他のバンドのオーティスという名の運転手に「レコード会社のオーディションがあるのでオルガンを弾いてよ」と頼まれた 。顔見知りなので快く引き受けてオルガンの伴奏を弾き始めた。それは「ディーズ・アームズ・オブ・マイン」 というオーティス・レディングのデビュー曲になる歌だった。オーティスが歌い始めると突然世界が変わる。ブッカー・Tは心底感動して伴奏中ただ聴き惚れてしまった。そして"I felt that I was involved something good and something significant "「おれはなにかとんでもない意義深いことに遭遇していると感じたんだ」と振り返る。

 その通りだった。その後オーティス・レディングはサザーンソウルの体現者として登場して聴く者すべての魂を震わせることになるのだ。

 1967年、ヒッピーカルチャーの落とし子フラワー・ムーヴメントの最中にモントレー・ポップ・フェスティバルが開催された。そのとき、プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーは、「ジェファーソン・エアプレイン は20フィートの大型マーシャルアンプを使い、グレィトフル・デッド もまた大容量アンプで演奏しているので、わがBooker T & the MG'sの小音量のアンプでもかれらに太刀打ちできるか」と一抹の不安を抱きながらもオーティスをステージに送り込んだ。

しかし、人を動かすのは音量ではなかった。その日6月17日のかれらのパフォーマンス はすごかった。会場に集まった髪を花で飾ったフラワー・チルドレンたちはオーティスの歌が始まるとそのボーカルに圧倒され狂喜して総立ちになり椅子の上に立ったりした。それで暴動を警戒する警官隊が出動して、もし聴衆が客席に着かないとショーをストップすると警告した。ママズアンドパパスのジョン・フィリップスはあわててそれを舞台のオーティスに伝えた。オーティスがパフォーマンス中"This is the love crowd right?If you love me,sit down"「これは愛の群衆だろ?おれを愛してるなら座ってくれ」と言うとみんな座りようやく会場は治まったのである。

 かれは自身の曲「ドック・オブ・ザ・ベイ」が全米1位に輝くのを見ることなくこのフェスティバルの6ヶ月後12月10日飛行機事故によりこの世を去る。不思議なことにこの時代に現れた不世出の天才たち、ジミ・ヘドリックス。ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、オーティス・レディングらはわずか数年の寿命のフィラメントのようにその期間だけ激しくきらめき光芒を放つとあっという間に燃え尽きて向こうの世界に消えてしまうのであった。 かれらの数年は普通人の数十年分にあたるのだろうか。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )