monologue
夜明けに向けて
 



 1967年1月、大物プロデュサー、ジェリー・ウェクスラーがアレサ・フランクリンという名の原石をコットン畑の真中のスタジオに運んで来る。フェィム・スタジオ(FAME STUDIO)のオーナー、リック・ホールはABCラジオで説教をするかの女の父L・C・フランクリン牧師の名は知っていても娘アレサについてはなにも知らなかった。それでも多くのミュージシャンが集められベースだけでも3人待機していた。セッションが始まり次から次へ指示を出すプロデュサー、ウェクスラーの真剣さにスタジオは緊張しそのレコーディングの重要性がみんなに伝わった。そんなピリピリした雰囲気のの中、ホーン奏者のひとりとアレサの夫テッド・ホワイトが喧嘩を始めた。なんとセッションはそれで取りやめになってしまったのだ。
-------------セッション編成---------
Aretha Franklin - Piano, Vocals
King Curtis - Tenor saxophone
Carolyn Franklin - Background Vocals
Willie Bridges - Baritone saxophone
Charles Chalmers - Tenor saxophone
Gene Chrisman - Drums
Tommy Cogbill - Bass
Tom Dowd - Engineer
Jimmy Johnson - Guitar
Melvin Lastie - Trumpet, Cornet
Chips Moman - Guitar
Dewey Oldham - Keyboards
Jerry Wexler - Producer
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 ニューヨークに帰ったウェクスラーはキーボードのスピナー・オールダムがエレクトリックピアノで試行錯誤の末にたどり着いた印象的なリズムパターンを使用したI never Loved A Manをシングルカットして片面だけのテスト盤(アセテート盤)を作って配るとラジオのDJたちの評判がすこぶる良かった。それで発売を決定したがB面として録り残していたDo Right Woman, Do Right Man をボーカルのアレサとバックボーカルに妹キャロラインだけを喚んで録音して発売した。

 この年、アレサの曲は爆発的ヒットを記録し、キャッシュボックス誌の67年度売り上げ、シングル1位、アルバム1位、R&B1位と3部門で首位を獲得して表彰される。
突然のソウルの女王の誕生だった。

 そしてデトロイト市長はアレサの功績を讃え、2月16日を「アレサ・フランクリンの日」とすると宣言した。そのとき、アレサは列席したマーチン・ルーサー・キング牧師から祝福のキスを受ける。人里離れたコットン畑に向かった頃には思いもしなかった成功であった。

 原石は一年で削られ磨かれ内なるソウルの光を放ち世界を照らしたのだ。その光は遠く離れた島国に住むわたしたちまで届きソウル音楽のとりこにする。わたしは日本で発売されていないアレサのアルバムを輸入レコード店で買いあさりそのボーカルのすごさにひたったものである。
fumio


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