monologue
夜明けに向けて
 



 1964 July 25付けキャッシュボクス誌で映画 A Hard Day’s Night の主題歌が首位になったビートルズはその1964年のアメリカ・ツアー中8月28日、ニューヨークのデルモニコ・ホテルに滞在していた。そこにジャーナリスト、アル・アロノウィッツがボブ・ディランを連れてやって来た。かれらは旧友のように語り合い盛り上がり楽しい時を過ごした。やがてディランは「きみたちの歌には主張がないね」などと本音をいいながら持参したマリファナをかれらにまわした。そのころアメリカではドラッグカルチャーが台頭していたのでそれは自然な行為だったがビートルズにとっては初めての体験だった。

 その後、ビートルズの歌詞はそれまでの「きみ、ぼく、かの女、好いた、はれた」の世界から脱皮する。
1966年4月28日、29日、6月9日にわたって、アビー・ロード・スタジオでポールのビバルディ風にという注文で弦楽八重奏団まで用いて録音された「Eleanor Rigby」 の歌詞は詩人アレン・ギンズバーグも「バブルガムミュージックがこんな深い詞になるとは文化の進歩だ、と評している。ビートポップバンド、ビートルズはこのような大がかりな曲のライブパフォーマンスでの再現が無理になり以来、ライヴをやめてしまう。

 一方ディランはロックを導入した音作りをするようになり名曲「Like a Rolling Stone」 を産みフォークから脱皮して自身の道を歩む。ビートルズとディランは互いに大きな影響を与えあった。天才達の邂逅はそのときは気付かれなくとも歴史を動かす大きな力となるのだ。
fumio


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