monologue
夜明けに向けて
 



 さて、日月神示が下ろされた時から人々が挑んだ岩戸開きの鍵「一二三四五六七八九十」の謎に対してあなたはどんな答えを用意されたであろうか。
 わたしはわたしなりの答えを以下に述べておく。
わたしはこれを「人、フタ見よ、いつ無に為すや、ここの戸を」と解いた。
「ひと」は霊止や火戸と書ける。「火戸」はよく見れば「炉」である。
このフタは炉のフタである。「ここの戸を」にその戸がある。
人はどんな戸を持っているのか。人が閉ざしている「ここの戸」とは…。
ここまでくればもうそれは自明であろう。「ここ炉」である。
心はここの戸であり、個々の呂でもあった。
 人は心のフタを閉ざし真の天照太神を呂に閉じこめてしまった。
もう、そろそろ「いつ無に為すや」という問に応えなければならない。
日月神示にたびたび登場する言答と書いてイワトと読ませるのはそのことの暗示であった。
天岩戸は実はわれわれの心にあったのである。
 それぞれが心のフタ(岩戸)を開き天照太神にお出ましいただく時が来た。
それが為せるならそれがわれら人類の再出発となることであろう。
fumio



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