monologue
夜明けに向けて
 



 さて、滝沢馬琴の秘密を解明してゆこう。
まずかれの名前の秘密から見て行く。
滝沢馬琴の本名は滝沢興邦で通称は清左衛門であったが
本名を後に解(とく)と改め滝沢解(たきざわ・とく)とした。
変わった名前である。どうしてこんな名に改めたのか。
トクの音で良いなら徳や篤などを使いそうなものと思ってしまう。
いつの世にか、かれの遺した暗号を解く者が現れるかと挑戦しているようである。
 わたしのホームページの読者にはよく知られている「十月十九日」というおかしな祭神名がある。
トクとはこの十九日という変な名の神のことなのだ。

 筆名の曲亭馬琴は、一般には「くるわでまこと」(廓で誠)で、
遊廓のようないい加減な場でマコトを尽くす野暮な男を示すといわれている。
しかし馬琴(マコト)とは○に九十で結局、馬琴も解も同じことの言い換えにすぎない。
曲亭馬琴という名前は「くるわでまこと」「来るまで待とう」という駄洒落になっている。
だれが来るのを待っているのかといえばそれはかれの言わんとすることを理解する者の登場であった。
マコトの音霊はMAKOTOで天上で逆転したときOTOKAMとなる。
漢字で書けば「音神」である。音神とは何か、
それは「闇」の中を見ればわかるように闇の門に囚われた音なのである。
通称の清左衛門は水に月の主である。
瀧澤という苗字は水に龍に数霊三八でできている。
これらが瀧澤馬琴の名前から得られる情報である。
これらは全てあることを指し示している。
それは十九であり、MAKOTOであり、音であり、月の主であり、龍であり、
数霊三八(宮)とかかわりの深い存在がかれに憑いていたということである。

 ブログの形式では表現しにくいこともあってここまででもなんのことかさっぱり意味不明と思われる方が多いと思うがご容赦。
次回は「八犬伝」によって馬琴の言わんとしたことを明らかにしたい。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )