『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

79歳の誕生日を迎えて思ったこと・・その2.

2021-05-21 13:55:11 | 喜怒哀楽をポジティブに
78歳から79歳になった自分はいったい何がどのように
変わったのだろうと思い、考えてみた。
妙に・・そして訳もなく心が弾み、血がたぎるようなこの
思いは何なのだろうと・・・。

この1年間であきらかに変わったことといえば・・・
多くのブログ友によってものの見方、考え方を含む沢山の
「学び」を得た事だと思う。

同世代を生きた方々や年齢は離れていても考えや行動が素晴らしく
常に刺激を受け、自分ももっともっと学びたいと思う人からも
教えていただいたことが数え切れない。

「学び」と言っても難しいものではなく、私の場合、その根本は
「心」が豊かになるかどうかなのだと思う。
79歳にしてあらためて心の豊かさを教えていただいたブログ友たちには
感謝!感謝!なのである。

その方々の記事から直接学ぶもの、いただいたコメントや
紹介された文章や書物から感じ、教えられるもの・・
学びは多くても決して重荷にはならない。
私の心も少しずつ大きく膨らんでいるからだと思う。

「人生は死ぬまで勉強」という言葉もあり、
「20歳だろうと80歳だろうと、
学ぶことをやめた者は老人である。
学び続ける者は若さを保つことが
 できる。」
というヘンリーフォードの言葉からも幾つになっても何かを
学ぶことの大切さがわかる。
個々の人生だから面白おかしく、楽しくそれぞれの人生を
謳歌するのもいいだろう。
そのことについては誰も文句を言える筋合いのものでも
ないと思うが・・・人生の終わりに自分の過去を振り返った時、
なるべく後悔することが少ないようにと思うと、特別難しい
事でなくても常に自分の周りの小さな事にも関心を持ち、また興味を
抱くことによって、何かを学ぶことができるのだと思う。

勉強というと難しく聞こえるかもしれないが日々の何気ない小さな事や
それを行う人から教えられることも多い。
「特に言葉の持つ力」・・・話す言葉、文章の言葉が与える影響は
時には相手の人生を左右するかもしれないと思えるほど感じる。
何度も繰り返すが学びの力は大きいと感じる。

学びや勉強・・それが一体何の役に立つのか?・・と言われると
さすがに難しい。
その価値を金品や豊かと言われる実生活に結びついたものという
ことで判断されるとなると尚更のこと・・・
しかし、私は今まで幸いにも明らかな物欲(金品)や出世欲に
さいなまれるような事がなかったことが今の自分を支えているのだと思う。

私の人生で出会った人達の中の成功者と言われる人にも
いろんなタイプがあり、何かを学ぶにしても必ず損得を最優先する
人も少なくなかった。
その人達には家族や働く仲間を守っていくという強い使命感もあり、
裕福、豊かな生活こそがいろんな絆を作り、良い関係を保っていくの
だという考えが大きかったのだと思う。
そのことについても異論を唱えることはできないと思う。

一方、私は自分自身にも家族や友人にも常に言っていたのは
『お金のないことは悪いことではない!』とお金優先よりも
日々の生活に対する自分たちの気持(心が豊かになること)を
優先する生活をしてきた。
最初に勤務し、20年勤めた会社では収入にも福利厚生面でも
恵まれ、少しずつ責任ある立場にも就いたが何か物足りなさを
感じながらの毎日だった。
時代背景もあり、それぞれ企業は違っても私達や前後の世代の
誰もが企業戦士と言われた時代・・・
それによって日本もどんどん近代化し、いろんな苦悩や苦労を
かかえながらも世界に冠たる経済大国にもなったのだから、
そのこと自体は良しと考え、そのお陰で生活が成り立って
いるという自覚も当然あったのだが・・・・

会社のお陰で若くして家を建て、仕事にも自信と責任を持てるように
なり、後輩、部下にも恵まれ、充実したかのような毎日の中で
徐々に『これでいいのか?』の考えが頭の中を占領しはじめていた。

それは安定し、幸せすぎると感じた現状をそのまま受け入れていれば、
また違った自分や違った人生になっていたのかもしれない。
頭の中に拡がりはじめた『これでいいのか?』の思いはあの頃の
先輩や同僚、後輩にもあったかもしれない。

ただ多くの仲間達は『これでいいのか?』を『これでいいのだ!』
と考え、その後も迷うことなく邁進できたのだと思う。
彼らは決して仕方がない・・と諦念したわけではなく、気持を
切り替えることができたのだと思う。

その『これでいいのか?』を簡単に言うと・・・
会社からも認められ、少しずつ責任ある立場に就いた私と
上司や上層部、そして後輩、部下との関係で「板挟み状態」を
上手くこなせない自分へのジレンマと仮にやりこなした場合の
罪悪感のようなものだったのだ。

上司は業績を上げるためにはひたすら部下を叱咤激励し、
個々の考えや仕事ぶりを考慮するより『尻をたたけ』と
言わんばかりの指示・・・私は個々の性格や考え、そして
仕事ぶりに合わせ、みんなで協力、助けあって仕事を
進めたいという考えで実践・・・。

当然、意見の食い違いから多少の摩擦もあり、私は上司よりも
部下を優先し、守る立場でそれなりに業績を上げたが、上司達は
私の意見を尊重するような顔をしながら、私のいないところ
(休みの日)では部下の人間性を否定するような無理難題を
押しつけ、集中攻撃をするという事態も・・・

上司達との話し合いも続けたが、自分の性格から「面従腹背」を
するなどということは考えず、自分のモットーでもあり、
そう信じていた山本五十六の言葉の『やってみせ、言って聞かせて、
させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』の方針を貫いて来た。
結果、不完全燃焼のまま私は他の部署に異動・・・
立場が逆なのに上司達が私に「面従腹背」のような異常な態度だった
事にも大きな違和感を抱いていた。

同僚や私の気持を知った友人達は強がりや無駄な抵抗はやめて
「長いものには巻かれろ」「所詮蟷螂の斧」などという言葉で
早まるな!というような大袈裟な忠告をしてくれたのは
私を思ってのことだと感じたが私は彼らの共通のアドバイス
「寄らば大樹の陰」よりも幼い頃から教えられた
「一寸の虫にも五分の魂」を大切に守りたかったのだ。

折しも・・理由は別だが仕事上で悩みがあった弟から二人で起業を
・・という相談があり、私は後ろ髪引かれる思いで20年勤務の
会社を退社したのだ。(そのころは髪も充分ふさふさとあったのだが)

思えば現実を見るより、人としての思いや生き方、信念の
ようなものを主体に生きていきたいと言う気持が強すぎたためと
経営能力の無いことに加えて病気というアクシデントもあり、
本当に小さな会社は6年弱で閉鎖となった。

その後、再び会社勤めで無事定年を迎えたがこの会社は
居心地が良かったし、自分の仕事にも充実を感じていた。
それは狭義での「学び」とその大切さを味わえたからだと思う。

その学びが定年退職後の仕事にも多少活かされたが3年前に
リタイアしてからはじめたブログでの学びが一番大きいと思う。
時々『ブログをやって良かった・・』という記事も投稿しているが
この誕生日を機に人生を・・特にこの充実した1年間を再確認
できたことが何よりの収穫だった。

そしてこれからも毎日、楽しい学びを続けていこうと思っているのだ。
もちろん、『我以外皆我が師なり』の気持で朝夕にすれ違う
小学生達からも・・・




コメント (4)
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