『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

西純矢投手の初登板、初先発、初勝利という快挙に感動!

2021-05-20 17:32:07 | 喜怒哀楽をポジティブに
今日は昨日の続き「79歳の誕生日を迎えて思ったこと・・その2」を
投稿する予定だったのだが、今日の記事のタイトルどおり、昨日、
我が阪神タイガースの2年目の西純矢がプロ初登板(先発)し、
5回を無安打無失点で初勝利を挙げたことに当然ながら、
感激、感動・・興奮が醒めない・・ということでその西純矢について
皆さんにも知っていただこうと思い急遽変更を・・・

彼は子供の頃からの非凡な才能とたゆまぬ努力で高校時代には
奥川恭伸(石川・星陵高・ヤクルト)佐々木朗希
(岩手・大船渡高・ロッテ)及川雅貴(神奈川・横浜高・阪神)らと共に
高校Big4と呼ばれる位全国の高校野球ファンに知られるような選手に
なっていたのだ。

1年生の時から頭角を現し、そして高校2年の夏の大会(甲子園)
では16奪三振の完封という偉業を成し遂げたが3年時には
春夏共に甲子園の土を踏むことができなかった。
その後U18として日本代表になり期待通りの活躍で2019年に
阪神タイガースに入団、昨年は2軍で好成績を挙げ、1軍入りが
期待された今季、満を持しての登板で見事初勝利・・・。

阪神ファンとして、いやそれ以前に野球ファンとして拍手喝采を
ということなのだが・・・・

創志学園高校の西純矢投手という名前を聞くと多くの高校野球
ファンにとって忘れられない思い出があると思う。
それは甲子園出場の前年に応援に来た父が帰路に倒れ、46歳
という若さで亡くなったことで甲子園では『天国の父へ向けて・・』
という意味を込め、打者を打ち取る毎に天を仰ぎ拳を強く握り
行ったガッツポーズが物議を醸し、高野連からの注意を受け、
翌日の試合では球審からも厳しく咎められたのだ。

そのためか動揺し、ペースを乱した西純矢はその後大きく崩れ、
創志学園高校は敗れるという結果になってしまったのだが
もう一つ悲しいのは奇しくもその日が亡くなった父親の誕生日
だったこと・・・

当時、このことをブログの記事にしたがその中から一部を
抜粋して『野球選手のガッツポーズについて』を
皆さんと一緒に考えられたら・・・と思うのである。

今年は高校生たちが日頃の練習の成果とともに気迫あふれる
プレーといくつもの感動、感激のシーンで全国民を盛り上げて
くれたことは野球ファンにとっても本当に嬉しいことであり、
いろんな力や夢、希望を感じさせてくれたと思う。

今回の岡山県代表『創志学園』のピッチャー西 純矢のガッツ
ポーズ禁止について賛否両論で取り上げられており、それぞれの
議論には頷ける点もあると思うが、私個人としては彼が自分自身を
鼓舞するための自己表現で、決して相手チームへの不敬や侮辱とは
思えないのである。

更に彼の今大会にかける意気込みは昨年、46歳という若さで亡く
なった父への思いが込められているという話も伝わっており、
彼の帽子の裏側には『笑顔』と父が亡くなった日10月11日の
『10:11』が書かれており、ここぞ!という時に相手を抑えた
場面で天から見てくれているであろう父へ捧げるメッセージの
ようなものの表れではないだろうかと私は好意的にみている。

野球には相手への敬意を重んじるアンリトゥンというルールには
載っていない「不文律」があり、メジャーリーグのみならず
日本でも取り上げられることがあるが、三振を喫した選手が相手
投手の『ガッツポーズ』に対して馬鹿にされた・・・という
意識を持つなどということはないのではないだろうか?

今回の西純矢投手へ注意をした審判は無駄な時間を省き、試合の
テンポを速めるためにという意図があったというように伝えられており、
わからなくもないがぎりぎりの中で戦っている選手たちの
心の叫びとしておおらかに認めてあげてほしいと私は思う。

純真無垢な気持から体いっぱいに緊張や喜びや悲しみを表すことが
制限される事に私はむしろ違和感さえ感じるのだ。

それよりも・・・
かなり古い話になるが1992年の星陵対明徳義塾の試合で
馬淵監督の松井秀喜に対する5打席連続敬遠という作戦の是非・・・
これも賛否両論で勝利を目指すなら致し方ない・・と言う声も
あったが私は高校生らしくいきいき溌剌としたプレーで正々堂々
と戦うべきであると大きく反論したことをはっきりと覚えている。

地元の期待を背負っての甲子園出場・・ということから何が何でも
勝利を目指し、卑怯と言われようが勝てばいいのだ・・という
意見にはどうしても納得がいかない。
教育の一環としての活動なのだからなどと声高に主張するつもりはないが、
あくまでも高校生としてのプレーを指示するべきではないだろうか。
しかも・・・
バッテリーには最初からすべて四球を指示する中でピッチャーには
何故ストライクが入らないのだろう?・・と首をかしげるような
仕草や外野手にはフェンスいっぱいに背中をつけて松井秀喜の
打球に対する準備をするようにという演技指導などもしていたと
いう。
当時のピッチャーにしても素晴らしい打者松井と対戦し、
打たれても真剣勝負をしたという誇りを感じるだろうし、
一度でも討ち取り抑えればまた大きな自信と野球に対する
情熱も持ち続けられるのではないかと思うからなのだ。

後にインタビューを受けた当該選手の心境を思うとやはり、
若者を育てる指導者の心構えも必要なのではないだろうか

松井の達観した言動にも感動したが、強豪校の監督といえども
教育者のひとり・・・若い生徒達にも人間としての「矜持」を
教えてもらいたいものである。
教師であった私の父が生きていたら何を思い、
どう語るのだろうか・・・


明徳義塾の馬淵監督はその後一旦身を退いたが要望する声もあり、
再び監督としてチームを率いている。
コメント (6)
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