『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

朝ドラを観ていろいろな思いが・・・

2021-05-28 14:46:05 | 喜怒哀楽をポジティブに
以前にも何度か投稿したが、私は2014年頃から昨年(2020年)
の後半まである理由でNHKの放送はテレビ、ラジオともに
視聴、聴取していなかった。

私の他にも不信感や様々な理由でNHKを嫌う人達もかなり
いるようだ。
私の場合、あの『N国党』とは全く違う理由によるものだが
以前の記事のように理由を書くと、延々と長くなりそうなので
ここでは省くことにしよう。

その私が昨年、(これも記事にしたが)ブログ友すずさんから
心に響くアドバイスをいただき、再び昔のように
NHKの放送もニュース以外は少しずつ観るようになり、
昨年の終わり頃から始まった朝ドラ「おちょやん」は1回も
欠かすことなく最終回(5月14日)まで観るという予想もできない
結果となった。(ニュースにはいまだに拒否反応・・・)

今までは野球中継がNHKで放送される事がわかっていても・・、
しかもそれが子供の頃から大好きだった「阪神タイガース」の
試合であっても意地(?)を張り、観なかったことを思うと雲泥の差・・・。

歴史や時代小説が好きな私の気持は堰を切ったように
大河ドラマ「青天を衝け」にも向かい、そして「おちょやん」に続き、
今月17日から始まった朝ドラ「おかえりモネ」も物語の舞台となる
宮城県の登米市や気仙沼市の心洗われるような光景とそこに住む人達の
心温まるような表情に私は頷いたり、ほっこりしたりしながら
毎朝楽しんでいる。(このドラマは妻、千恵子選手も一緒に視聴)

前回の「おちょやん」はドラマの登場人物達の涙のシーンも多く、
彼らの言動が視聴者の涙を誘うような場面もかなり多かったと思う。
私の印象では80%以上が「涙」に結びつくシーンではなかったかと
思うくらいである。

明治生まれのおちょやんが大正、昭和の厳しい時代を
涙と共に送った人生を思うとおちょやんの4歳ほど年下である
私の母の人生はまあまあ幸せだったのかなあ・・と思う。
もちろん、おちょやんの人生の幸せを描いた部分もあり
おちょやんはその人生を力強く生きたことは幸せであり、
おちょやん自身もいい人生だったと思ったことだろう。

現在放送中の「お帰りモネ」はいまのところ前作(おちょやん)で感じた
重くのしかかるような思いや感情の表現はないので前作よりは
楽な気分(?)で観ることができる。

テレビやラジオのドラマと言えば・・・
私が初めて(本格的に?)ドラマに巡り会ったのは小学5年生の時・・
昭和28年(1953年)、NHKラジオドラマ『新諸国物語・笛吹童子』だった。
この頃の新諸国物語は1年間放送されていたと記憶している。

夕刻、放送時間になると弟と二人でラジオの前に正座し、
『一言一句も聞き逃すまい』と、まさに固唾を呑んで足の
しびれなど気にせず少し前屈みになって聴いていたことを今も
はっきりと覚えている。
翌、昭和29年(1954年)の新諸国物語は『紅孔雀』だった。

この2年間のうち聞き逃してしまったなどということはほとんど
なかったと思う。
「笛吹童子」のドラマの主題歌の『ひゃら~り ひゃらりこ ひゃり~こ
ひゃられろ 誰が吹くのか、不思議な笛だ・・・』も
「紅孔雀」の 『まだ見ぬ国に 住むという 紅きつばさの孔雀鳥・・』も
自然に口を衝いて出てくる。

この放送を聞き続けたこととこの時期(小学5、6年生)の
担任であった要門先生が折に触れ講釈師のような口調で面白
おかしく歴史を語ってくれたり、いいところになるとこの続きは
自分で読みなさい・・・と話してくれたことによってその影響を受け、
歴史や歴史小説、時代小説が好きになり、その後友達と一緒に
これらの本を読むことになったのだ。

大人になってからは司馬遼太郎が好きな友人と酒を飲みながら
歴史談義になった事も・・・

それが時代小説や映画を好きになる事にも繋がっていった。
いま、こうして振り返ると誰にとっても小さい頃に見聞きしたこと、
学んだことなどがその後の人生にも少なからず何かしらの影響を
与えることが多いのだなあ~と先生の顔を思い浮かべながら思った。

 





コメント (2)
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