先日、親権についてコメントしていた方がありました。
以前からブログでも書いておりますが、
私自身も調停を経験して、当時2歳の子供とは10年以上、会っていません。
私自身に落ち度がないにも関わらず、調停は何にもなりませんでした。
一方で、養育費だけは義務であり、未納なら給料の差し押さえすら可能ですが、
面会は義務ではありません。
当時の民生委員も無能でしたし、昭和初期からの制度も判例も時代錯誤です。
海外では共同親権が可能ですが、日本ではふつうはありません。
ほんとうに、あまりに時代錯誤な日本の法律や判例は
批判する気も起きないほどです。
先日も伝えましたが、これもひとつの枠、箱です。
その外に出ないと、とらわれます。
少なくとも、あなたが司法に携わるような偉い人でもなければ、
いやそれでも、制度を変更することなど不可能に近いわけです。
だからこそ、枠の外に出るしか方法がありません。
当時、私はこの国の政治も、制度も信用しないと決めました。
離婚以来、選挙には行かないと決めました。
それは今でも変わりません。
それとこれは違うと思うかもしれませんし、実際異なることですが、
当時の調停のあまりに不合理な制度に、当時の苦しみの中にいた私が
唯一できたことは、国に関係ないところで生きる、つまり国の枠から出るということであり、
それが選挙には二度と行かないという、自己満足的な抵抗でした。
世の中ではあくまで、選挙は義務で、民主主義をうたいますが、
そんなことは関係ないことが明白です。
政治家は自分のために動き、金を稼ぎ、国のことを真剣に考えている人がどれだけいることか。
これだけ震災や原発、自然災害の被災地が苦労していても、国の支援がいくらもないことや、
公害や殺人事件、事故の被害者の扱い、補償など、どの制度を見ても、
泣いている人がたくさんいるでしょう。
離婚だけの話ではないと痛感させられます。
どうにもできない制度や法律に嘆いても、結果は同じ。
前回同様ですが、箱から出るしかありません。
意識そのものを、枠から出すしか逃れられない。
私はそう思いますが、あなたはどうでしょうか。
以前からブログでも書いておりますが、
私自身も調停を経験して、当時2歳の子供とは10年以上、会っていません。
私自身に落ち度がないにも関わらず、調停は何にもなりませんでした。
一方で、養育費だけは義務であり、未納なら給料の差し押さえすら可能ですが、
面会は義務ではありません。
当時の民生委員も無能でしたし、昭和初期からの制度も判例も時代錯誤です。
海外では共同親権が可能ですが、日本ではふつうはありません。
ほんとうに、あまりに時代錯誤な日本の法律や判例は
批判する気も起きないほどです。
先日も伝えましたが、これもひとつの枠、箱です。
その外に出ないと、とらわれます。
少なくとも、あなたが司法に携わるような偉い人でもなければ、
いやそれでも、制度を変更することなど不可能に近いわけです。
だからこそ、枠の外に出るしか方法がありません。
当時、私はこの国の政治も、制度も信用しないと決めました。
離婚以来、選挙には行かないと決めました。
それは今でも変わりません。
それとこれは違うと思うかもしれませんし、実際異なることですが、
当時の調停のあまりに不合理な制度に、当時の苦しみの中にいた私が
唯一できたことは、国に関係ないところで生きる、つまり国の枠から出るということであり、
それが選挙には二度と行かないという、自己満足的な抵抗でした。
世の中ではあくまで、選挙は義務で、民主主義をうたいますが、
そんなことは関係ないことが明白です。
政治家は自分のために動き、金を稼ぎ、国のことを真剣に考えている人がどれだけいることか。
これだけ震災や原発、自然災害の被災地が苦労していても、国の支援がいくらもないことや、
公害や殺人事件、事故の被害者の扱い、補償など、どの制度を見ても、
泣いている人がたくさんいるでしょう。
離婚だけの話ではないと痛感させられます。
どうにもできない制度や法律に嘆いても、結果は同じ。
前回同様ですが、箱から出るしかありません。
意識そのものを、枠から出すしか逃れられない。
私はそう思いますが、あなたはどうでしょうか。