80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

両親の思い出(2)

2012-03-23 18:05:29 | 戦争体験
今日は両親と言っても母の話である。

母は、運動能力はどうだったのか聞いた

ことはないが、他の事は何でもできる人

で、女学校時代は休み時間には友達に

勉強を教えてあげていたらしく、母が

50歳になるやならずで寝たきりに

なってしまったときには、23年間の

寝たきり生活にも関わらず、お世話に

なったと言う友達のお見舞いがずっと

続いたものであった。

 だが、子供たちにとってはちょっと

困ったこともあったのである。

学校で作文とか、俳句を作ってくる

宿題が出ると、母に遊びに行っておい

でと、言われるのだが、母は、その間

に作文をものし、あるいは俳句を作って

待っていて、家に帰ると、これを書いて

おいたから学校へ写して持っていくよう

にと言われるのである。

だから、学校へ行って先生やみんなに

褒められるのだが、自分では褒められれ

ば、褒められるほど、嫌でたまらなくなる。

時には、すばらしい詩だからと言うことで、

音楽の先生が曲をつけられて、学校中で

歌ったこともあった。

私は長いこと、母の作品ですと言うこと

も許されず、辛い思いを持ち続けていた。

後年、クラス会で、隣に坐った男性から

”あなたの作った歌を今も覚えているよ。”

と言って歌われた時には、本当に穴が

あったら入りたいとはこのことだと思った

ものである。 勿論、

”実はあれは母の作品で、私は嫌でたまら

 なかったのよ。”と言うことができた。



驚いたことに、母の思い出を妹と話して

いたときに、私が、

”お母さんに何時も作文や俳句の宿題を

 書いて、持って行かせられたお蔭で自分で

 物を書く自信がないのよ。”と、嘆いたら、

妹が、

 ”あら、お姉さんもそうだったの。私もよ”

 と言ったのにはびっくりした。

今もって残念な次第。




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