80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

子供の頃の思い出(2)

2012-03-08 12:08:23 | 思い出
1935年、数えの5歳の半ば頃、前里町から、

屏風ヶ浦に引っ越すことになったが、海岸沿い

を走る市電通りの屏風ヶ浦の停留所から山側の

京浜急行の(当時は湘南電車と呼んでいた)

屏風ヶ浦駅に向かう大通りがあって、その

道に沿って、幅1間ぐらいの小川が流れていた。

その通りに面する場所には大きな家が多かった

が、私の家は,その裏側にあって、その東側に

は、Tさんという由緒ある豪族のお宅があって、

その周りを回るよう

な形でしか家に行く道はなかったのである。

その豪邸の二三軒手前の魚屋さんと八百屋さん

の間の小道を通っていくのだが、魚屋さんの横

を過ぎると、半分が小川で、半分が砂利道に

なっていて、対岸の家に行くにはそれぞれの

お宅の前に幅一間ぐらいの木製の橋ができてい

たが、その小川の水は魚屋さんの家の前で海の

方へ向っていき、海へ注いでいくようになって

いて、比較的水は綺麗だったが、台風の際には

よく氾濫した。

橋を3つほど見た後、右の階段を三段ほど上が

ると正面に、当時でも珍しかった乳鋲のいくつ

もついた立派なご門があって、それに続いて

ご門番の小さな詰め所があり、背の高い垣根が

めぐらされている豪邸があった。

その前を右に曲がるともう一軒お宅が左手にあ

り更に、一番奥に見える家が私の家であった。

 何時もその前を通る時には、そんなご立派な

お宅の中が見たいものだと思っていたが、太い

木々が視界の邪魔になって中の様子は全く見え

なかった。

でも、私たちが隣人になった頃は、多分、大分

没落しかけておられたらしく、ご隠居さんと

呼ばれていたおばあちゃまを何度もお見かけし

たが、ごく普通の装いで、特に眼を見張るよう

なお姿ではなかった。

 噂ではご当主が亡くなられてから、没落の

一途を辿られて売りに出されていたようだった

が、何せお広いので、中々買い手がつかないと

いうようなお話だった。



 その頃、1931年に生まれた弟と 1933年生ま

れの妹がいたが、何故か弟は何時もぴいぴい泣く事が

多かったので、或る日、父が、

"お前は何時も泣いてばかり、本当に泣き虫だと

 Tさんのお宅の方々に思われていると思うから、

 一度、お隣のあの大きな木の方に向かって大声で

 笑って来い。”

 と言ったのである。

 弟は真剣な顔をして、ちょこちょこと歩いていき、

 大きな樫の木に向って

 ”ワハハ ワハハ”と、何度も繰り返していた。

 (笑い)


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