80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

跡継ぎ

2012-03-21 09:14:38 | 教育
私は1930年〈昭和5年)安藤家の長女と

して生まれました。

次々に4人生まれて一番下の弟は1941年の

4月生まれですが、考えてみれば、私の両親は

昭和恐慌〈昭和5から6年)と言われた昭和5

年に、私を、次の昭和6年に弟を、昭和8年に

次女を、日中事変が起こった次の年、昭和13

年に三女を、更に新しい戦争にエスカレートし

そうな不穏な空気の中で末弟を産んだわけです

から、

”産めよ。増やせよ。”の国策に沿っていた

とは言え、大変な時代を過ごしたといえると

思います。

当時の人たちの考えは、家の跡継ぎをしっ

かり教育して残すと言うだけでなく、自分達

の老後を看取ってくれる者を自分たちの責任

で育てていたのです。

是は何処のお宅でもそうで、家々には子供さ

んが溢れていて、賑やかだったものです。



最近では経済的に安定していないから、環境

が悪いからとか、保育所もないからだとか、

政府の援助が足りないなどと、いろいろ御託

を並べて子供さんをおつくりにならない方々

も増えていますが、私にはどうもいい傾向だ

とはとっても思えないのです。 

他人様の苦労して育てたお子さんにご自分の

介護を頼むおつもりだろうかと思うからです。

経済的に子供を育てられないと仰る方に一言

申し上げたいのですが、人類がこの世に現わ

れて以来、この世が何の心配もない楽園で

あった時がどのくらいあったとお思いでしょ

うか?

 NHKテレビ”新世代が解くニッポンの

 ジレンマ”

と言う番組で、お若い世代の代表とも言える

ようなご立派な方々の中で、

”俺達は貧乏の中で生まれて貧乏で死んでいく”

とか、

”労働は遊びから始まった”

何て言うおかしな発言がありましたが、高学歴

の方々が、いろいろな学問から何も学んでいない

ような発言に驚いておりますが、私の想像では、

人類の始まった頃は、多分、食うや食わずで

あっただろうと思われますし、それだからこそ、

生活を改善すべく、農業等、いろいろな産業が

次々と起こってきたのだと思います。

食うや食わずの時代では、食べ物を得ると言う

ことは必死であって、そのための労働が遊びで

あったはずはないと思います。

それでも食べられない日もあった。

だからこそ、人間は進化の一つとして

”オートファジー”の機能を体内に作ってきた

のではないのでしょうか?

それはさておき、苦しい時代にあっても、自分

の家の事は自分で責任を取ると言う考えがあっ

たのだと思います。

ですから、近ごろ時々話題になる孤独死の中に、

家には何も食料が残っていず、飢餓で亡くなっ

ているが、生活保護は受けていなかったという

方々もあるのです。

いろいろな見方はあるのでしょうが、私は、

その方々のお考えの中に、人に迷惑をかけない

で生きていきたいと言う高邁な精神を見てあげ

たいと思います。

だからと言って、生活保護を受けてはいけない

と言うつもりは毛頭ありませんが・・・。

ただ、あまりにも、人々が政府に頼りすぎては

いないかと言うことです。

何かあれば、自分の権利を主張するが、義務は

かってに疎かにするとは思いませんか?

できないと思うからできないのです。

知恵を働かせていけば何とか改善策は見つかる

のではないでしょうか?




注)オートファジーとは、固体が飢餓状態に置

かれて栄養が枯渇しアミノ酸の供給が絶たれる

ことは、細胞にとっては生死に関わる重大な

ダメージになり得る。

しかし、オートファジーが働くことによって、

細胞は一時的にこのダメージを回避することが

可能だと考えられている。

オートファジーが起きると細胞内に常に存在し

ている蛋白質(ハウスキーピング蛋白)の一部

が分解されてペプチドやアミノ酸が生成され、

それが細胞の生命活動にとってより重要性の高

い蛋白質を合成する材料に当てられると考えら

れている。

この機構は動物の個体レベルにおいても観察さ

れ、例えば、マウスを一晩絶食させることで、

肝細胞でオートファジーが起きることが知られ

ている。

ただしオートファジーによる栄養飢餓の回避は

あくまで一時的なものであり、飢餓状態が長く

続いた場合には対処することができない。

この場合オートファジーが過度に進行する事で、

細胞が自分自身を食べつくしてしまい、細胞が

死に到ると考えられている。

〈以上wikipedia 調べ)


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