80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

昭和20年の思い出を語る会(2)

2010-08-27 06:34:04 | 戦争体験
(以下原文のまま)

 5月29日横濱大空襲

  昭和20年5月29日の横濱大空襲。一時間8分の間に約40万個の大小

焼夷弾が降ってきて、市外のあらかたが焼き尽くされました。

あの日のことからはじめましょう。

Oさんの話

 あの日は朝8時過ぎ、登校の途中平沼橋で空襲警報になったので、家へ戻り

ました。

焼夷弾がバンバン落ちてきてアッという間に周りから火の手。あの空襲は東神奈川

平沼からやられたそうですが、私の家は其の平沼でした。

祖母が老衰と言う感じで寝ていました。

隣組の人たちが

「大家さんのご隠居さんは絶対に運び出します」

と言っていたのに、気がついてみたら近所中誰もいない。祖母を起こしてステッキ

を持たせ、私は非常袋とかいろいろ持って外へ出たらもう道の両側は火で、裸馬

なんかが逃げて走ってくるんです。

家の約束で父の実家の保土ヶ谷へ行く事になっていたので、どうしても保土ヶ谷へ

行かなければと思って浜松町まで来たら、もう火で何処へも行けないんです。

それで尾張屋橋の下の道路のところに祖母と二人で座り込みました。あの東海道線

や横須賀線や貨物線の線路がいっぱい通っている所です。線路の両側は煙で全然

先が見えない状態でした。

 その時祖母が

「此処に置いていっておくれ、あんたは若いんだから一人でお逃げ」

と言いました。でもまさか置いては行かれません。

 「空襲が静まってから迎えに来てくれればいい。私は此処で必ず待っているから」

辺りはシーンとしていてザーッと言う雨の音がしている。

それは焼夷弾が落ちる音なんですが静かなんです。二人の押し問答が聞こえたのか、

線路の向こうから憲兵が二人でてきて

 「誰かこのばあさんを連れていってくれ」

すると不思議なことに、煙の中から小柄なおじいさんが出て来て祖母をおんぶして

くれました。祖母は大柄な人だったのですが、小さいおじいさんにおぶわれて線路

を行きました。昔、機関車にホースで水を入れていたけれど、そのホースが壊れて

水がバンバン出ていたので、三人でその水をかぶりました。煙で苦しかったので。

私は大切な羅紗のオーバーコートを着こんでいたのですが、頭から水をかぶったの

に五分で乾いてしまいました。三人で久保町まで来たら火が治まっていて、

”ああ、助かった・・・・・”。

話しはそれだけなんですけれど、尾張屋橋まで行く途中に川があって、熱いから皆

どんどん飛び込んでいたけれど、私は祖母がいるから出来なかった。仕方なく

尾張屋橋の下へ行ったんですが、結局あの川には焼夷弾がたくさん落ちたんですよね。

もし飛び込んでいればどうなっていたか。

 それにこのごろ思うんですが、私が祖母の立場だったら”私を置いてお逃げ”

と果たして言えるだろうか。又祖母はこんな事も言いました。

 「手ぬぐいにオシッコをかけてそれを口に当てて逃げるんだよ」

 まあ、それはしないで済んだのですけれど。祖母は本当に大したものでした。

この話しは誰にもしたことがなかったんです。もしかしたら聞かれたことも

なかったんですよね。

(つづく)