80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

学徒動員時代の思い出(3)

2010-08-22 17:58:35 | 戦争体験
 ”航空耐寒食”の袋つくりは、チョコレート色の艶のある紙

を裏返しにして置き、その上に銀紙と透明なセロハン紙を載せ

30センチ長さの直径3センチぐらいの木型に巻きつけて筒状

の物を作るのであった。

出来上がりは表にチョコレート色の艶紙が来るようになるので、

私たちはこの中身にはチョコレートが入るのかしらなんて想像

してしまった。

お昼休みになると、自分の持ってきたお弁当を食べ、工場の裏庭に

出て日向ぼっこをしながら、当時流行していた歌をお友達と歌う

のが、つかの間の楽しみになっていた。

 一日の作業が終わると、食堂に集まってご飯がお茶碗一杯分出る。

ご飯といっても、細切れの大根やら大麦の入ったもので、小さめの

お茶碗によそったご飯をお皿にひっくり返して、その上に、ゴマ塩

を掛けたもので、たまにカレーがかかっている事があったが、そん

な時には、満面の笑みを浮かべられた湯元主任さんの

 ”このカレーは、当社のバターを使っておりますので、とても

 おいしいと思います。”と言う宣伝文句が付け加えられていた。

カレーには大根しか入っていなかったが、それでも私たちは、大いに

歓迎した。

 月一回、森永キャラメルの当時10銭で売られていたものが一個と

五助と呼ばれていた、焼きすぎたり割れてしまったクッキーの袋が

配られて、みんなとても喜んだが、誰も袋を開けてすぐ食べようと

言うものはいなかった。

その頃はそういうものは配給もなく手に入らないので、家族のために

みんな喜んで持って帰ったのである。

家に帰ると弟や妹たちが大騒ぎして、母が分けてくれるのを待ちかねる

位であったが、私は小さい弟妹たちの年には、いつでも好きなだけ食べ

られるものだったのにと思うと、可哀想でならなかったので、いつも

少しだけ食べて机の中にしまっておくと、下の妹が、見つけて食べるの

であった。
                 

                          (つづく)