80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

原爆投下予定地(2)

2010-08-07 06:31:44 | 戦争体験
 1945年6月1日暫定委員会「委員長ヘンリースチムソン陸軍長官)は


    原子爆弾は日本に対してできるだけ早期にしようすべきであり、

    それは労働者の住宅に囲まれた軍需工場に対して使用すべきである。

    その際、原子爆弾についてなんらの事前警告をしてはならない。


 と、決定した。なお原子爆弾投下の事前通告についてはBBC(ニュデリー

 放送」やVOA(サイパン放送)で通告されていたと言う話もあるが、一般

 的に認められているわけではない。

 この経過の中で四つの目標都市のうち京都が次の理由から第一候補地とされ

 ていた。

   ・人口百万を超す大都市であること

   ・日本の古都であること

   ・多数の避難民と罹災工業が流れ込みつつあったこと

   ・小さな軍需工場が多数存在していること
  
   ・原子爆弾の破壊力を正確に測定しうる十分な広さの市街地を

    持っていること

 しかしフィリッピン総督時代に京都を訪れた事のあるスチムソン陸軍

 長官の強い反対や、戦後、「アメリカと親しい日本)つくる上で、

 京都には千数百年の長い歴史があり、数多くの価値ある文化財が点在、

 これらを破壊する可能性のある原子爆弾を京都に投下したならば、

 戦後、日本国民より大きな反感をかう懸念があるとの観点から、京都

 への原子爆弾の投下は問題であるとされた。

 1945年6月14日京都市が除外され、目標が小倉市、広島市、

 新潟市となる。 しかし京都への爆撃禁止命令は継続された。

 1945年6月16日から終戦まで、通常兵器による空爆第三期。

 中小都市への焼夷弾爆撃の時期。

 以上 wikipedia 調べによる。

 (つづく)