原子爆弾の輸送
重巡洋艦インディアナポリス(上記写真)
並行して、完成した原子爆弾を部品に分けての輸送が行われた。
損傷の修理のために戦列を離れていたアメリカ海軍のポートランド級
重巡洋艦インディアナポリスは、原子爆弾運搬の任務を与えられ1945年
7月16日にサンフランシスコを出港し、7月28日にテニアン島に到着した。
また陸軍航空隊のダグラスC-54スカイマスター輸送機がウラン235のター
ゲットピースを空輸した。
原子爆弾の最終組立はテニアン島の基地ですべて極秘に行われた。
このインディアナポリスは帰路の7月30日、フィリピン海で橋本以行
海軍中佐指揮する日本海軍の伊号第五八潜水艦の魚雷により撃沈され
ている。
この潜水艦は、当時特攻兵器である回天を搭載しており、回天隊員から
出撃要求が出されたが、「雷撃でやれる時は雷撃でやる」と通常魚雷で
撃沈した。インディアナポリスの遭難電報は無視され、海に投げ出された
乗員の多くが疲労や低体温症・サメの襲撃にあって死亡した。
そのため、原子爆弾には「インディアナポリス乗員の思い出に」とチョーク
で記された。インディアナポリスの艦長はその後軍法会議に処せられたが、
自艦を戦闘で沈められたために処罰された艦長は珍しい。
戦後米軍は原爆輸送の機密漏洩を疑い、橋本潜水艦長を長く尋問したが、
その襲撃は偶然であった。
インディアナポリスが往路に撃沈されていれば、8月6日の広島市への原子
爆弾投下は不可能となっていた。
以上wikipedia 調べより
(つづく)
重巡洋艦インディアナポリス(上記写真)
並行して、完成した原子爆弾を部品に分けての輸送が行われた。
損傷の修理のために戦列を離れていたアメリカ海軍のポートランド級
重巡洋艦インディアナポリスは、原子爆弾運搬の任務を与えられ1945年
7月16日にサンフランシスコを出港し、7月28日にテニアン島に到着した。
また陸軍航空隊のダグラスC-54スカイマスター輸送機がウラン235のター
ゲットピースを空輸した。
原子爆弾の最終組立はテニアン島の基地ですべて極秘に行われた。
このインディアナポリスは帰路の7月30日、フィリピン海で橋本以行
海軍中佐指揮する日本海軍の伊号第五八潜水艦の魚雷により撃沈され
ている。
この潜水艦は、当時特攻兵器である回天を搭載しており、回天隊員から
出撃要求が出されたが、「雷撃でやれる時は雷撃でやる」と通常魚雷で
撃沈した。インディアナポリスの遭難電報は無視され、海に投げ出された
乗員の多くが疲労や低体温症・サメの襲撃にあって死亡した。
そのため、原子爆弾には「インディアナポリス乗員の思い出に」とチョーク
で記された。インディアナポリスの艦長はその後軍法会議に処せられたが、
自艦を戦闘で沈められたために処罰された艦長は珍しい。
戦後米軍は原爆輸送の機密漏洩を疑い、橋本潜水艦長を長く尋問したが、
その襲撃は偶然であった。
インディアナポリスが往路に撃沈されていれば、8月6日の広島市への原子
爆弾投下は不可能となっていた。
以上wikipedia 調べより
(つづく)