5日、6日と一泊二日で天草・熊本・柳川の旅を満喫してきました。
といっても、わが「ひぜしん」で年金受給口座を開設されているお客様の年金友の会である万年青(おもと)会の皆様のお供役。
揃いのハッピに身を包み、目配り、気配り、心配りの二日間
「お客様の小さな喜びが私達の大きな喜びです」のキャッチフレーズ通りに、ちゃんとやれているか
私達も試されているのであります。
佐世保を7時半に出発して大村経由で島原半島を南下、口之津からフェリーで天草に渡りました。
出発はご年配のお方故に、早くお見えになられる方もいらっしゃるということで、私は夜明けと共にベッドを飛び起きて、6時半には既に佐世保営業部に待機しておりました。
天気は上々、旅はまず天気なんであります。
大型バス三台に便乗して、いざ出発進行
Facebookで妙に受けた写真・・・徐行の文字が面白いとか・・・・。
口之津から鬼池港までは約30分で着いてしまいます。
意外と近いのですね。
イケメンの元祖、天草四郎時貞さんの銅像
3万7千人もの農民が起こした、島原の乱という一揆の総大将といいますが、僅か16歳なのですから、まあ一つの錦の御旗のようなものだったのでしょうね。
キリシタン弾圧が一揆の主な原因のように思われているけれど、原因は過酷な年貢の取立てにあったのでした。酷い領主が居たもんです。検地の倍の年貢米を取り立てたのだと・・・・。
現政権のなりふり構わぬ景気刺激策も、近くに迫っている消費増税のための目くらましに過ぎないという説もありますが、
いつの世も、一般庶民はお上から吸い取られるだけのようであります。
帰りには1万人以上が死んだ田原坂にも立ち寄ったので、島原・天草の乱と合わせると、なんと5万人近くがこの内乱で死んだことになります。
同じ日本人同士が組織的にいがみ合い殺しあうのですから、今では考えられませんが、国家とはリーダー次第では、戦争にも狩りだされることになる。
右傾化が揶揄されている我が国ですが、戦争だけは絶対反対であります。
それにしても、何ともまあ、人の歴史とは争いの連続であるのが、哀しい
そんな哀しい歴史をすべて見知っている筈の天草の島々は、黙って波間に佇んでおりました。
今回は佐世保地区のお客様95名での旅行となりましたが、皆さんお元気そのもの・・・・・。
団体行動も見事、人に迷惑をかけないというのが昭和一桁生まれの鉄則だとのことで、日程行程は比較的スムーズに運んだのも有難いことだった。
ただし、バスに非常用の昇降用ステップ台が無かったり、一日目の昼食のご飯が冷たく固かったりと反省点もありました。
これは次回へ繋がる改善点としっかり記録に留めました。
お客様からのアンケートも実施して、もっと小さな喜びを積み重ねていかねばなりません。
見てください・・・・・天草の海の色は、すっかり春の色
パステルブルーとでも形容したいような海
私の最大の協力者永田部長さんも大活躍でありました。
何でも判りあえた長年のお得意様とのツーショット
舞台に勢揃いした佐世保ブロック7人のサムライ達
一所懸命にお世話をしてくれておりました。
「バカ殿みたい」という声も・・・・・失礼な、レッキとした一国一城の主であります。
人の良さは地銀にも都銀にもけして負けません。
さて、二日目は熊本に入り、最後は柳川の「さげもん祭り」を散策
その模様はまた明日のココロ
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