最近は少しばかり短歌の練習をしている。
土の中に埋もれそうになっている、おじさんの感性を掘り出して
多少はサンドペーパーで磨きをかけないと、少しぐらいのことでは物事に感動しなくなってしまっているからなのだ。
例えば旅先で出会った野の花、けなげに、無為不待に咲いている。
この花の美しさに体が震えなくてはならぬところ、黙って通り過ぎようとしていることが多い。
だから、ちょっとお題を決めて、まあ、ただの言葉の遊びにすぎないのだけれど、ちょっとばかし無駄な抵抗を試みているんである。
やってみると、意外に難しく、そして意外に易しい。
所謂、神の啓示のようなもので、
閃きがあると、スルスルと言葉が降りてくるのだが、
無理に捻り出そうとすると、いかにもはからいが感じられるいびつな歌になってしまうものだ。
やはり、一番いいなあと思うのは、こころ素直にありのままを、さりげなく詠むことに尽きるのだと思う。
日常の出来事の中の、おかしみ
ものの哀れ
ちょっとした感動
こんなものを「歌に塗り込められたらいいなあ・・・。」と思うんである。
「はる三題」
突然に春は地上に降り立ちて やはらかき草のかほりに深呼吸すーっ
あくる戸に梅の花びら舞い込みて 郵便の便りは届く口元弛め
水の音はやさしきひびきいとおしき母のにほいか蜆の夕餉立つ
とまあ、これを原型として並べ替えたり、言葉を変えたりして推敲していくのだが、一番大切なのは、どう感じているのか。
どうそれを短く一番心に響く言葉を使って表現するかということである。
この短歌らしきものは、もう遅いのでバタバタとわずか数分で作ったものなのだが、これをどうちゃんとした形に変えていくのか・・・・
これが案外と愉しいんである。
しかし、原石の美しさは残しつつ磨いていかねばならない。磨きすぎても言葉は死んでしまうものだ。
さあ、難しいのだが、それが愉しいのである。
その手直しの結果は後日。
今夜は多忙を極めてしまい、もう2時になろうとしているので、
これで寝ますオヤスミナサイ
明日は嵐が武雄を襲う予感
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