しんきんの年金旅行二日目
その前に昨晩のおさらいを・・・・。
今回の旅の収穫はこのサムライ達が、本当にお客様を喜ばせようと、最大限のおもてなしをしてくれたことでしょうか・・・・。
とにかく宴会の間中、食事も摂らずにひたすらお客様にお酒を勧めてお話を聞いて、丁寧に回ってくれたのでした。
それにしても勝ちゃん、チョンマゲが似合うね。
相浦城の喜多氏(うじ)も頑張っておるのでござる。
「徹底的にお客様を楽しませよ・・・。一切、手を抜くな。」との誰かの秘密指令もあり、七人のサムライは笑顔で頑張りました。
宴会が終わり最後のお客様を部屋にご案内して、やっと夕餉を囲んだのでありました。
お得意様から部屋呑みのお誘いがあり、慌ててまた全員集合
その宴がやっと終った後に、完全に解放された私達は、遅い入浴を済ませると、ホテルの外へ。ラーメン屋さんで二次会とミニ反省会。
実は七人のサムライと本音の話がしたくて、この旅行についてきたと云っても過言ではないくらいに、この瞬間をとても大切に考えていた私なのであります。
それは実に愉しい時間でもありました。
いつも本気で本音の話を心がけている佐世保ブロックなのですが、仕事を離れての仕事談義は、また違った新鮮さがありました。
佐世保のスタッフをもっと元気にしたいという思いから・・・のこと。
このことも今回の大きな収穫であったように思います。
天草五橋からの眺めは、まるで一幅の絵のように美しいものでした。
あそこの磯は何が釣れるだろうかと・・・つい釣師の本能が頭をもたげてきました。
しんきん万年青会の旅行、二日目は天草五橋を渡って、植木町に行き、明治時代の官軍と西郷さんの薩軍が激闘した古戦場、田原坂記念館を訪ねました。
♪ 雨は降る降る、人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 ♪
歌に唄われたこの地で、たった150年ほど前に、近代日本の産みの苦しみがあったのでした。
こいが薩摩の大砲でごわす・・・・。
じゃっどん、当時は佐賀藩の大砲の方が優れとったとでごわんぞ。
一通り日本史の勉強をばしたら、ソロソロ腹が空きもしたぁ・・・・。
昼食は菊水の里で、せいろ蒸し御膳を頂きました。
昼食としてはまずまず・・・・。
量はいいから、気の利いたものを少しづつ食べたい・・・がご年配の心理だと思うので、今回のツアーの食事には注文をつけたいことが山ほどありました。
しだれ梅も盛りを過ぎてはおりましたが、まだ咲き誇っていました。
そんな中での楽しい昼食
95人が一堂に食事するのも大変なことなのです。
ここでもひぜしんの七人のサムライは、かいがいしくお給仕に勤めております。
メニューはこんなんでございます。
その後、一時間ほど走って最後の立ち寄り地である柳川に
まずは定番の川下りへご案内しました。
船からのアングルは、結構臨場感に溢れておりますね。
この日もPM2.5の所為なのか、靄っておりました。
私達の船頭さんは、 ♪ 今年80のおじいさん ♪
軽妙な観光ガイドと歌のサービス付きです。
柳川弁は、川風と共にとても心地よい響き
方言が一番ヨカばんたぁ・・・・。
ここは柳川藩主立花邸への水門の入り口
一つの運河状態に掘割が設計されているとのこと・・・・。
土木工学の無かった時代に治水の技術は超一流だったとか・・・・。
白秋が愛でし白壁掘割りの 町にさげもんの花はにほへり
風竿
普通の民家のさげもん祭りが公開されておりました。
柳川地方はひな祭りに、布で作ったお飾りをそこかしこにぶら下げる慣わしだそうです。
これを「さげもん祭り」としてひな祭りの期間中、街中の至る所で飾られております。
誰かが間違って「さげまん祭り」と言っておりました・・・・そんな・・・・。
色とりどりのさげもん・・・・
それが、中々可愛いのであります。
そして、春の陽気と見事にマッチしていますね。
♪ 灯りを点けましょボンボリに、お花を活けましょ桃の花 ♪
いい風情を味わいました。
佐世保も「海軍祭り」みたいな企画をやれば・・・と思います。
柳川を散策して、帰途につきましたが、佐世保に帰り着いたのは夜7時となってしまいました。
ということで、事故もなく無事に帰り着いたことで、二日間の旅の全日程は恙無く終了しました。
「また来年一緒に行きましょうね・・・。それまで元気にしとかんばですよ・・・。」
それぞれのお客様と、笑顔で固い握手をして名残を惜しみました。
「こんなに楽しい旅行は初めてやった。来年も必ず来るけんね・・・。」
お客様の笑顔がこの旅行の小さな成果を物語っていました。
この小さな幸せが、私達の最大の喜びとなった今年の年金旅行でありました。
ご参加頂いたお客様に、心よりお礼を申し上げます。
追伸:島原の乱における軍令違反が、佐賀の運命ともなったようですが・・・・。長崎出身の故・市川森一氏の【幻日】読み返したい。