奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2234)

2022-10-05 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「どくとるマンボウ回想記(北杜夫著・日本経済新聞出版2007刊)」を読んだ。北杜夫(きたもりお1927.5~2011.10)氏は、東北大学(医学部)卒/慶応大学大学院(医学研究科)博士課程修了/医学博士。精神科医/小説家/エッセイスト。----------

この本「どくとるマンボウ回想記」の目次は次の通り。“文学への目覚め”、“執筆開始”、“躁と鬱(うつ)”、“父と母/妻と娘”、“先輩や友人”、“最晩に思うこと”---------

この本「どくとるマンボウ回想記」の内容紹介文は次の通り。世界の海山を駆け巡り/膨大な作品を吐き出したマンボウは/今は世を捨て何も望むことは無い。生と死/時間と空間の輪郭が溶けてしまった洒脱でちょっととぼけた半生記が写す/もう一つの戦後文学の豊かさ。酒と躁鬱と文学の日々/航海記から半世紀/おおどかに/時にシニカルに/来し方を振り返る。日経新聞連載の私の履歴書/お約束の書籍化。“あの/何かお飲みになりませんか/コーラとペプシコーラとどっちが良いですか”作者が散らかしっ放しにしていた雑誌に足を取られて転倒し顔を強打/出血した細君を迎えにきた救急車の運転手さんに/作者が言った台詞(せりふ)である。“救急車なんて呼んだことも無かった/そんなものがやって来たことが/実に申し訳ないように思われた”ためだそうな。大河ドラマの総集編を見るような趣のある一冊である。“さしてこれと言った仕事も出来なかったが/それ以上を別に望むことは全くない”。作品数128作に及ぶ作家は人生をそう総括する。----------

北杜夫氏の作品は、“怪盗ジバコ(1967)”を読んだのが最初だったが、その後“どくとるマンボウ”シリーズの数冊を読んだ。北杜夫氏が日経/私の履歴書に連載されたのは2006/御年80歳の砌(みぎり)であった。その4年後/東日本大震災の年に他界された/作家としては辛かったのではないかと推察する。

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