「幸せのちから」のガブリエレ・ムッチーノ監督、アメリカ映画。
ニューヨーク在住の小説家ジェイク(ラッセル・クロウ)は妻を交通事故で亡くして、
男手ひとつで娘ケイティ(アマンダ・セイフライド)を育てていた。
しかし事故の後遺症による精神的な疾患がどんどん彼を蝕んで行き…
幼い頃父親に可愛がられた過去と、それから25年後の心理カウンセラーになった娘の今、
画面は交互に映し出されます。
母親を亡くした一人娘を、父親はそれこそ舐めるように可愛がる。
幼い娘も全身全霊で父親を愛する。
これほどまでの愛情を交わして、この父親に何かあったらこの娘はどうなるのだろう?と
観る側が不安になるほどに。
そしてその予感はどんどん的中して行く。
愛する者を失くしたトラウマのあまり、
成長した娘は人を愛することができなくなってしまった。
初めて本当に好きな人ができても、セックス依存症から脱することができないでいた。
愛が強ければ強いほど、それを失った時の喪失感は大きい。
そして愛は必ず終わりが来る。
別離、あるいは死別という形で。
それを人はどうやって乗り越えて行くのだろう?
どうしたら乗り越えることができるのだろう?
この作品、それほど期待していなかったのですが拾い物でした。
映画のHPによると、ラッセル・クロウは、脚本を読みボロボロ泣いたのだそうです。
この役のために体重を増やしたという彼の発作の演技は真に迫っていたし、
大きく見開いた瞳からホロホロと涙をこぼすアマンダの熱演も素晴らしい。
「あなたの傍にいたい」と繰り返す名曲「Close to You」がしみじみと心に響く。
そして、あの編集長がジェーン・フォンダだったとは。
80年代にエアロビクス・クィーンだった彼女も、もう77歳なのですね。
相変わらずスラリとして、颯爽と歩いていました。
しかし、最初からすべてのネタバレをしてしまうこの邦題は許せない。
原題は「Fathers & Dauters」です。
「パパが遺した物語」 http://papa.gaga.ne.jp/about.php
死が近づいてきたからなんですね。
先に逝くというのも自分が死を恐れている、死について達観してないので、これから自然に受け入れられるか、すったもんだ見苦しい最期かなど想像するようになりました。
もうすぐ後期高齢を迎える今やっとというか実感します。
このような映画を観るときっと考えもいろいろ深くなるのでしょう。
少なくとも若い頃よりは。
先に逝かれる、残されるというのはさぞつらいことでしょうね?
長生きされた高齢の人はみな、
そういう思いを抱えて生きておられるのだろうなあと。
そんなんだったら先に逝った方がマシとも思いますが
こればっかりは自分でどうにもできませんものね。
愛する人に先に逝かれる寂しさは、身近に体験した人とそうでない人と大きく感じ方も違うのでしょう。
しみじみしそうです。
邦題から、なんとなく父と娘の別れの話なのだろうな...と察していましたが
原題はどうして fathers & daughters と複数形なのか??
そこにお話の鍵があるのでしょうか。
父親が娘にどんな形で愛を遺したのか気になります。
あまり期待してなかったのですが
私にはしみじみよかったのです。
じんわり泣けましたよ。
親や近しい人を亡くす、
誰もが通る道なのですけど…
これはないなあ、と憤りました。
本編のごく終盤なのです、父親が亡くなるのは。
ここで複数形を使ったのは
私はリンゴ(というもの)が好きです、と言う時に
applesと複数形を使うのと同じような感覚かと思いましたが…