東京の橋 ~勝鬨橋(その1)

2009-06-17 10:10:00 | 日常&時間の旅

勝鬨橋遠景。両端部はアーチ橋で、中央部がハの字に眺開する。


 「勝鬨橋」は1933(昭和7)年に着工され、1940年に完成しました。当時は隅田川を航行する船舶が多かったので、3000トン級の船が航行できるように中央部が左右に跳ね上がる可動橋(眺開橋)を採用しました。高架橋とする案もあったらしいのですが、建設費が安上がりだということで可動橋が選ばれました。完成後は「東洋随一の可動橋」と呼ばれ、築地のシンボルとして今日まで親しまれています。


 勝鬨橋の可動(眺開)部。1953年ごろまでは、一日に5回眺開していた(一回の眺開時間は20分ほど)。以後、眺開回数が減ってゆき、上流に大型船の通航できない佃大橋が建設されたことから利用が限定され、眺開回数が年間100回を下回るようになり、交通渋滞の原因になっているとして、都電同様廃止に追い込まれる。1967年を最後に通航のための眺開は行われなくなったが、しばらくはメンテナンスのために年に一回眺開されていた。最後の眺開は1970年11月29日。1980年に電力供給もストップされ、今日に至る。2007年、永代橋&清洲橋と共に国の重要文化財に指定され、橋の再眺開を望む声も上がっているが(技術的には問題ないとされた)、復旧費用が10億円ほどかかることから、実現性は限りなく低い。


(右)勝鬨橋を月島側から見る。竣工当時から路面電車の軌道が敷設されていた。かつての東京には、路面電車の軌道が網の目のように張り巡らされていた。今も残されていれば、東京は世界屈指のエコ都市になっていただろう。
(左)アーチの部分も美しい。勝鬨橋の由来は日露戦争から。旅順攻略を祝って「勝ちどき」の渡しが造られたことによる。


     

(左)勝鬨橋の眺開部。ここがハの字形に開いていった。眺開角度は70度。眺開に要する時間は約70秒。門司港で眺開橋が稼働するのを見たが、ただそれだけで胸が躍った。
(右)橋を渡っていると、建物みたいになっているところからヘルメットをかぶった人が次々出てきた。これって?・・・実は毎週木曜日に勝鬨橋の見学会が開かれていて、往復はがきで事前に申し込むと橋脚内部を見学することができる! 今回は残念だったけど、機会があったら申し込んでみるつもり。