センチメンタル・ジャーニー ~城ヶ島の歴史と自然

2009-06-10 23:59:59 | オートバイ春夏秋冬


城ケ島灯台へ向かう階段の上から眺めた北側の景色は地中海風だけど・・・


太平洋に面した南側は、手つかずの厳しい自然が広がる。


 (お恥ずかしい話だけど)城ヶ島が鎌倉時代から景勝地として有名だったことを、ここを訪ねてから数十年後に初めて知りました。鎌倉に幕府を開いた源頼朝も、城ケ島はお気に入りの場所だったのか、何度も遊びに来ています。7日の日曜日には、城ケ島から鎌倉まで走ったのですが、もしかすると、頼朝も通った道を通っていたかもしれません。島内には、埋め立てられてしまってかつての面影は全く残っていないそうですが(全く、どうしてそういうことをしてしまうのだろう?)、頼朝に因んで名付けられた「遊ヶ埼」「水っ垂れ」「酔女ヶ浜」といった地名が今も残っています。頼朝は単に訪れるだけでなく、城ヶ島と対岸(三崎)の宝蔵山に桜を数千株植え、瀬戸に舟を出して両岸の桜を眺める、といった豪快な花見もしていました。妻=政子の尻に敷かれている印象が強い頼朝ですが、なかなかやりますね~、それとも、政子に尻を叩かれて植樹したのかしら?


 赤羽崎の突端にある「馬の背洞門」。侵食によって岩がアーチ状にえぐりとられた。中央にも覗き穴風の侵食口があるけど、穴の向こうの海が見えるかな? 関東大震災以前はこの下を舟で潜れたらしいが、地震による隆起で陸化してしまった! 海食は長い年月を経て、磯だまりをたくさん作った。小さな生き物たちのオアシスになっている。


 奥の方にかすかに見える建物からスタートして、海岸線を歩き、馬の背洞門の尾根を登ったところ。ここから先は、高さ30mの切り立った台地を歩いてスタート地点まで戻る道と、ウミウの生息地を眺めながら東側の城ケ島公園まで歩く道が整備されている。海岸線や台地を行く人が点々と写っている・・・この景色をみたとき、『ムーミンパパ海へ行く』の舞台になった島を訪れたような気持ちになった。



(左)城ヶ島は、黒潮の影響で冬場も温暖だが、太平洋に直に面しているため、島の南側は海からの風に常にさらされており、暴風時には人を全く寄せつけなくなる。この日もよく晴れた暖かな一日だったが、強風が吹いていて、沖には白波が立っていた。海が荒れてくると、海食(風と波の激しさがわかる)によってできた岩場を超える高波が押し寄せる。島の南側が天然の防波堤になってくれるので、島の北側と対岸の三崎港は良質な漁港として古くから漁業が営まれてきた。
(右)太平洋岸の木々は全て傾いていて、自然の力の凄さを思い知らされるが、地面に這いつくばるように広がって咲く花を見ると、生命のたくましさにも驚かされる。


(左)磯だまりには無数の小さな生き物たちがいる。じっとして海底の砂に溶け込んでいる稚魚が見えるかな? 左端にも稚魚がたまたま写っているが、このタイプはスイスイ泳ぎ回っている。
(右)お洒落なデザインのクラゲもぷかぷかしていた。ヤドカリやカニ、エビのたぐいもたくさんいて、目の細かな網と小さいバケツがあればたくさんの生き物を観察できる。


 太平洋側の東半分は人を全く寄せ付けないが(断崖絶壁の台地はウミウの繁殖地になっている)、城ヶ島灯台のある西半分は気楽に歩ける。前述したように、海食でできた岩場を歩いて馬の背洞門まで行き、馬の背洞門から比較的緩やかな斜面を登り、30mの断崖の上を歩いて灯台下まで戻ってくる遊歩道が整備されていて、暴風時以外は城ヶ島の自然を満喫できる。


 この日のニワトリさんは、太平洋岸の半分を往復する感じに一筆書きで歩いてから、最後に灯台に向かいました。ダイナミックに景色が変わるので非常に楽しく、運動量もちょうどいい感じ! 実を言うと、城ヶ島にはもう一つの顔があるのだけれど、それにも今まで全く気付いていませんでした。やっぱりもう一度行かないと?

 帰宅して書き始めたのですが、眠気に勝てず・・・書き終わったので、また寝ます(2時33分。日付は前日に戻します)。お休みなさい~♪