隅田川は佃島を挟んで左右に分かれますが、「勝鬨橋」が架かっている左側(地図を見たとき)が隅田川本流になり、「相生橋&春海橋」が架かる右側は隅田川支流になります。
水上バスは隅田川の本流を遡ります。品川の日の出桟橋を出航すると、最初に有名な「勝鬨橋」をくぐり、続いて東京で一番無粋な橋と陰口を叩かれている(東京オリンピックに合わせて突貫工事で架けられた)「佃大橋」、バブル絶頂期に造られたゴージャスな(フランスのデザイン会社の設計)「中央大橋」、「永代橋」という具合に遡っていきます。
にわか「【橋】熱中人」に過ぎないニワトリさんは、相生橋の存在すら知らなかったのですが、「勝鬨橋」を目指して「永代橋」から隅田川沿いを下っている(つもりだった・・・)その途中に偶然!「相生橋」の前に出て、ひと目で気に入ってしまいました。
位置関係が気になったので、たった今、地図を確認したところ、「相生橋」を渡る前に「中央大橋」も渡っていました。なるほど、思い返せば確かに、高層マンションが立ち並ぶ新しい道を走り、きれいな橋を渡ったような気がしますが、「兜」を意識した主塔と欄干の意匠に気づきもせず、単に通過してしまった模様・・・。
ニワトリさんはその後も「迷走」を続け、「勝鬨橋」からどんどん離れていったのですが、そのおかげで、(名前だけ素晴らしい?)「春海橋」の横に架かっていた素敵な鉄道廃橋にも巡り合えたのだから、方向音痴様々といったところでしょうか? 世の中、何が幸いするか、わからないものですね。
(左)野バラと相生橋。全幅36.8mの「相生橋」は「永代橋」の25mより広く、交通量の多い清澄通りに仮橋を架けながらの工事だったので、上下7車線の全線が開通するまで11年の年月を要した。
(右)春海橋から眺めた相生橋。全長149.1m。現在の「相生橋」は四代目になる。昭和末期に計画され1999年に完成した。バブル期に計画された「中央大橋」と並んで、個性的なデザインを誇る。フランス人がデザインした斬新&ゴージャス(ライトアップも!)な「中央大橋」に対して、「相生橋」は関東大震災で焼失してしまった二代目相生橋にならって、隅田川では珍しいトラス橋とされた。
巨大なトラスが格好いい! アオガエル君と記念撮影。
「相生橋」を後にすると、すぐに「春海橋」の案内表示が現れました。「晴海にひっかけてつけた名前だと思うけど、春の海っていいなあ。どんな橋だろう?」
俄然興味が湧いてきたので、表示に従って左折しました。800mほどでT字路に突き当たり、左に平凡な青い橋が架かっています。「これが春海橋か。予想どおりの普通の橋だ・・・」
そのときです。青い橋の向こう側、街路樹の梢の間から、朝錆びた古い鉄橋が見え隠れしているではありませんか! 歩道に乗り上げ、バイクから降りました。
もう一つの「春海橋」は、東京都港湾局臨港線の鉄橋だった。消えた都電同様、今では想像することも難しいが、かつて東京都港湾局は、旧国鉄の越中島貨物駅と豊洲&晴海地区を結ぶ深川・晴海線(20.3km)と、日の出桟橋と芝浦を結ぶ日の出線(5.8km)という二つの貨物線を持っていて、一日20本近くの貨物列車(ディーゼル機関車)を運行させていた。晴海線の廃止は1989年。バブル経済が始まった頃だ。この頃に覚醒していれば、色々面白いものを見ることができたのに・・・浅草の仁丹塔、同潤会アパート、汐留や飯田橋の貨物ヤードなど、バブル期に失われたものがたくさんある。
静かに待っていると、幻の機関車が走ってくるかもしれない。
春海橋のツーショット。春海橋は中央部がバイパスの高架に分かれている複雑な橋だった。このあたりは、まだまだ面白いものが出てきそうだ。