楽しかった時間があっと言う間に過ぎてゆき、そろそろ(記事を読んでくださっている方には「やっと・・・」)、立ち去る時刻が近づいて来ました。強風にさらされ西日を浴びている城ヶ島灯台に神々しさを覚えるほどだったのですが、風が受けているだけで体力を消耗する感じ・・・今でこそ無人ですが、灯台守の皆さんは、さぞかし苦労されたことと思います。
新たに設けられた階段やウッドデッキで、行きやすくなった城ヶ島灯台。昔の姿を全く覚えていないので、天井裏の押し入れから古いアルバムを引っ張り出してくる必要があるかも? 城ヶ島灯台は5番目にできた西洋式灯台で、明治3(1870)年に初点灯した。初代灯台は関東大震災で倒壊し、1927年に現在の灯台が再建された。
(左)城ヶ島灯台近くの京急ホテル側の浜辺は、このようにのこぎり状になっていて、よほど印象的だったのか、鮮明に覚えていた。この付近は夕陽のスポットとしても有名で、自分が島を去る時間になって訪れるカメラマンや人々も多数見かけた。
(右)ウミウ生息地と城ヶ島YHを訪ねて島を去ることにしていたが、向かう途中の待避港から城ヶ島大橋を見上げてみた。記憶どおり、橋の中央部分が赤かったことが確認できた!
太平洋岸の東側はこのような断崖絶壁になっていて、人が立ち寄ることはできない。その代わり、ウミウにとっては格好の繁殖地になった。
繁殖のシーズン(11~4月)は終わったが、まだぼちぼちウミウの姿を見ることができた。最盛期には3000羽以上も集まるらしい。小・中学校時代は春休みを利用して旅行したので、この日よりずっと多くのウミウを見ることができた。猛烈な風のため、カメラが手ぶれしている。断崖に生えている木々も真っ直ぐ延びていくことができず、風下に傾いてしまった!
(右)城ケ島公園の入口。「ウミウ展望台まで200m」の表示が見える。城ヶ島というより、三浦半島全体が軍事的に重要と考えられ、城ヶ島にも軍の要塞が築かれた。城ケ島公園は要塞跡地に造られた。数少ない遺構も残っているらしいので、次回はそれも探してみたい。
(左)遊歩道入口のはす向かいに城ヶ島YHがあった筈だが、探してみたところ、YHの入口にフェンスが張られていた!
神奈川県観光組合が運営してきた城ヶ島YHは、2003年8月31日に閉館された。城ヶ島YHは1962年に開業され、昭和40年代(自分たちも利用した頃だ)には年間1万人以上が利用したが、最近では夏場以外の利用客がなく、4000人台まで客足が衰えたため、県が閉鎖を決めたとのことだ。建物はまだ残されていて、玄関前のロータリーから非常に懐かしかったが、廃墟となってしまった寂しさは拭えなかった。2007年には、自分たちも乗船した「城ヶ島~油壺」間の定期観光船(カモメが船の後を追いかけてくる)が廃止されてしまったが、それを知ったのもつい先日のことだ。ある意味では、センチメンタル・ジャーニーの最後に相応しいエピソードだが、残念で仕方がない。