LGBTの家族と友人をつなぐ会ブログ

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの家族や友人による会のブログです。

東京ミーティング(10月7日)レポート

2018年10月15日 | Weblog

3連休中日のためか、出席者は12人と少人数。当事者の他にLGTそれぞれの当事者の親御さんが揃い、忌憚ない話合いで盛り上がりました。

 

序盤は教育談義から。千葉県の中学校がブレザータイプの制服にネクタイ・リボン選択可、ズボン・スカートも選択可を打ち出したというニュース記事が取り上げられ、選択自由はありがたいとの声が出ました。けれども、制服反対の意見の保護者もいて、制服は何故必要かとの話に進展。学生の非行化対策だけでなく、学生が制服を着ていればどこの学校の生徒かまで認識できるので、町中で危険な目に合わないように周囲の目が彼らを守ることができるという安全対策の面も指摘され、更に最近の経済格差の風潮の中では、私服着用となると却って貧富の差が一目瞭然となりやすい。だから、制服がある方が無難との声も。ならば、標準服が一応あって、しかも選択自由、という線がベストでしょうか? 

従来、日本の教育制度は子どもを守る観点がともすると管理の方向に行きがちで、制服指導もその傾向が強かったようにも思いますが、柔軟性をもって制服を活用していけば、誰にとっても有意義なものになるかもしれない。制服ひとつとっても、多角的に考えていくと+面、-面ともに挙げられ、一概に答えは出せません。けれども、そろそろ従来の服装規定を見直して、着用する個々の生徒の思いを汲んだ柔軟性のある運用を考えていく必要はあるでしょう。 

制服談義から派生して、和を持って貴しとなす日本の教育スタイルについて。

近年、これが同調圧力に変化しているように見受けられます。セクシュアル・マイノリティ当事者に学生時代の思い出を尋ねると、自分のセクシュアリティに係る違和感のため周りになじめなくて、ある方は孤立へと向かい、一方なんとか周りに合わせようと努力してきた方からは、当時は大変だったけど今となっては社会の流儀を知る良い経験だったと語られる。いずれにしても学生時代は居心地が悪かった、これはセクシュアル・マイノリティの子どもたちにとって共通の思いでしょう。親からしてみれば、これは切ない。孤立にしろ協調にしろ、そこには子どもなりの心の葛藤があっただろうし、やり過ごすにしろ乗り越えるにしろかなりのエネルギーが必要なわけで、年代相応の夢や希望を持ちにくいのは想像に難くありません。

思春期に子どもたちは自分自身を探り、葛藤し、現実の有り様に反発し、暴走もしやすい。そこにどう対応していくか、セクシュアル・マイノリティの子どもを持つ親自身の悩みも尽きません。まずは話し合い、受容し、同世代の同じ境遇の仲間と出会うよう促すことが思春期特有の狭い視野から抜け出せる道かと思います。それにつけても、学校という一日の大半を過ごす場が多様性を認める場であれば、子どもたちはこんなにも苦しまなくて済むだろうにと思います。

子どもたちがありのままの自分でいられる子ども時代を過ごし、自分らしく生きられる将来を夢見られるように成長していってほしい、とあらためて感じました。                                           

M

 

 


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