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レ・ミゼラブルフィクション・ガイズ伝

2016-11-17 14:46:29 | 映画
先日テレビをつけたら「レ・ミゼラブル」をやっていて、少し観た。

わりと最近のミュージカル仕立てのではなく、リーアム・ニーソンの、である。

私は生まれて初めて読んだ小説がこのレ・ミゼラブル、邦題「ああ無情」なので、
今でも無情感に苛まれて生きている、ということはまったくないが、
この物語には何か特別なものを感じている。

読んだといっても、当時小学生の私が読めるようなレベルのものだったので、
10年くらい前に本当の原作の和訳のブ厚いものを一度図書館で
読んでみようとしたことがあったが、
10ページくらいでもう先に進めなかった。

もうよく憶えていないが、たしか第一章の描写が細かすぎて、
進行があまりに遅く、この文体が延々続くのかと思った時点で
私の負けは確定だった。
たしか神父の財布の中身を細々と説明をするところで挫折したような。

物語はフランス革命後を舞台に「法と正義、愛と赦し」などを描いたと思われるが、

ひとつのクライマックスとして、
薄幸の女ファンティーヌ(ユマ・サーマン)がベッドで死ぬわけだが、私はどうしても
映画「パルプフィクション」でウォレスの妻ミア(同ユマ・サーマン)が
高純度のヘロインを一気に吸い込んで死にそうになるシーンを思い出してしまい、
「レ・ミゼラブル」のそこは泣けるシーンのはずなのだが、まったく泣けない。

本来ならファンティーヌがその人生のほとんどにおいて嘗め尽くして生きてきた
辛酸の数々を思い返す力ももはやなく、今ベッドに虫の息で横たわり、
彼女に残された唯一の光、娘コゼットに一目会いたいがために力を振り絞って
生の縁に痩せ衰えた指をようやくかけているのだが、
コゼットは未だあの呪われ憎むべき守銭奴テルナルディエのもとにあり、
長年ファンティーヌは預けたコゼットを人質のように扱われテルナルディエに
騙され続け、金を搾り取られ、とうとう娼婦にまで身を落とした果ての今際の際に、
彼女の境遇と運命を通して当時のフランス社会の激しい嵐をも透かして見えるが、
やっぱりどうしても私は泣けない。どうにもヘロインの白い粉がちらつく。
アドレナリンの注射一発で生き返りそうに思えてしょうがない。

「パルプフィクション」はそんなチープでくだらないシークエンスの玉手箱なのだが、
いつ観ても結局のところ面白い。よく出来ている。チンピラ映画の金字塔だ。
ロスのあの常にダラけて何か香料くさくそして乾いた感じがよく伝わる。

とくにクリトファー・ウォーケンが幼少時のブッチを訪ねて、
ブッチの父の形見の金時計を居間でブッチに手渡すシーンで
その時計の由緒を真面目な顔で子供ブッチに長々と話すウォーケンの顔が最高で、
なんでこんなくだらない話をタランティーノは思いつくのか、いつも感心する。

クリストファー・ウォーケンといえばミッキー・ロークのサブにまわった
映画「ホームボーイ」のチンピラ、ウェズリー役が一番好きだが、その次は、
いや同列でどうしたって「ディアハンター」のニックだろう。ところが、
2012年にアル・パチーノと共演した「Stand Up Guys」もすごくよかった。

アル・パチーノの話に変わってしまうが、
「Stand Up Guys」は「スカーフェイス」そして「カリートの道」に続く
最終話といった感じで、
我らが高倉健の「昭和残侠伝」「日本侠客伝」からの「冬の華」そして
「夜叉」という流れに近い、俳優の年齢にともなった幕引きというかトドメというか、
やっぱり遠くから見続けている私たちからすると感慨も一入というところである。

「パルプフィクション」について最後にひと言つけ加えるとすれば、
これを封切りで観た時の感想は、「勘違いをする人がいるだろうな」だった。

人を殺してもヘロインを打っても、なんとなくシャレで済んでしまう劇中の世界を
実生活と区別がつかない人は案外多いという気がしたのでした。

コメント
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