三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

年間第22主日のミサ

2013年09月09日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック三河島教会
(住所:東京都荒川区荒川3-11-1)

このところ、チマッティ神父の『自叙伝』を興味深く読んでいる。戦前日本の最も困難な時代、チマッティ神父はカトリック三河島教会の創立に尽力し、戦時中はその主任司祭も務めた(1941-44年)。1943年、イタリアが連合国に降伏すると、チマッティ神父は「敵国人」とされ、三河島教会で約1ヶ月間の監禁生活を強いられた。もちろん、受難の日々だけではなかった。1936年、三河島教会のクリスマスはプレゼントが目的とはいえ、何と2,700人の子供たちが集まったという。

9月1日(日)、三河島教会で年間第22主日のミサに与った。ロザリオ一環を唱えた後、午前10時のミサ開祭。三河島の会衆は聖歌を大きな声で歌い、また「使徒信条」や「主の祈り」をハッキリと唱える。かくも「気合の入った御ミサ」は初めてだ。福音朗読は、「客と招待する者への教訓」(ルカ14・1、7-14)。主任司祭の並木豊勝神父は次のように話された。「今、『へりくだる者は高められる』という教えを聞きましたが、さらに聖書が『究極のへりくだり』に触れた箇所があるのです」。

「では、そこを朗読しましょう。『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました』(フィリピ2・6-11)」(注)・・・。この日、私は福音の喜びに満たされながら、チマッティ神父の遺徳をしのんだ。


カトリック三河島教会聖堂
“ キリストは人間の姿であらわれ・・・(典礼聖歌317) ”

(注):記事内の聖書引用は「新共同訳」によったが、この時の並木神父は「バルバロ訳」を読まれたのではないかと思う。というのも、朗読中に「奴隷のすがたをとり」「その外貌は人間のようにみえ」「神はかれを称揚し」などの特徴的な訳文が聞こえてきたからだ。私も日頃から「バルバロ訳」を愛読している。この古い聖書はカトリック信徒だった祖父の遺品の一つ。

◆この日のミサ中の主な歌:
ミサ曲3(典礼聖歌211-214。栄光の賛歌のみ読誦)、入祭:典礼聖歌137「すべての人の救いを」、奉納:典礼聖歌77「神よ あなたの道をしめし」、拝領:典礼聖歌402「仕えられるためではなく」、閉祭:典礼聖歌317「キリストは人間の姿で」。

◆主な参考文献など:
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(上)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
・「新約聖書」 フェデリコ・バルバロ訳(ドン・ボスコ社・1957年)
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