三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

カトリック片瀬教会

2012年01月19日 | 神奈川のカトリック教会
カトリック片瀬教会(教会堂名:聖ヨセフ)
創立:1938年 ◇ 住所:神奈川県藤沢市片瀬海岸2-2-35

江ノ島電鉄の江ノ島駅で下車。潮風に煽られながら歩くと、江ノ島が見えてきた。詩人・中原中也はここを訪れた時の印象を、次のように記している。「江の島は、想像せし通りの所。まことに俗人むきの所なり」。この日、中也は鎌倉大仏などを見物したが、移動手段は江ノ電を利用したと思われる。ところで、俗人の私が江ノ島の名を知ったのは、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を通してであった。「♪江の島が見えてきた 俺の家も近い・・・」。

さて、私は道に迷ったらしく(泣)、強風が吹きすさぶ中を漂流。 境川の河口は逆流し、係留されたヨットが激しく揺れている。駅まで戻ろうかと考えた時、ようやく教会が見えてきた。戦前に建てられた和洋折衷の聖堂は、禅寺の僧堂を思わせる雰囲気。聖堂内の左右には、長谷川路可が描いた「十字架の道行」が掲げられている(長谷川画伯については、喜多見教会の記事を参照)。教会の敷地には古い木造の司祭館があり、こちらも戦前の貴重な建造物だ。

片瀬教会の創立には、旧帝国海軍軍人のカトリック信徒(!)が関与している。その名は、山本信次郎海軍少将(1877-1942年)。片瀬海岸の資産家の次男として生まれた信次郎は、カトリック系の暁星学園の出身。在学中に受洗し、卒業後は海軍兵学校へ進む(注)。戦前日本のカトリック教会を支え、岩下壮一神父らとも親しかった。真珠湾攻撃の翌年、信次郎は病気で亡くなったが、太平洋戦争の悲惨な結末を見なかったのは、幸いと言えるだろう。


現聖堂献堂:1939年
<カトリック系の湘南白百合学園小学校が隣接している>

(注):国際派の信次郎は、宮中の御学問所御用掛を務め、皇太子時代の昭和天皇にフランス語を進講。大正デモクラシーの世とはいえ、皇太子を教育する信次郎に、「耶蘇であること」が障壁とならなかったのは意外。さて、「江ノ電沿線のカトリック教会巡り」は、次の藤沢教会が最終回です。

◆主な参考文献など:
「新編 中原中也全集 第五巻 日記・書簡」 大岡昇平ほか編(角川書店・2003年)
「父・山本信次郎伝」 山本正著(中央出版社・1993年)
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