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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

江南の春~南京に思う

2010年01月27日 | 旅行
杭州近郊は水郷の街なのである。
かつて日本軍が南京を攻略し駐屯した悲しい歴史があるけれど、日本軍を苦しめたのはクリークであった。

美しい景色であると同時に、農村を守り農民や人々を守っていたのである。
南京・・・金陵とも言われた。
中原(ちゅうげん)に覇を唱える困難さから、南京に都をおいた何人かの帝王がいたのである。

たとえば、211年、呉の孫権が石頭山金陵邑に石頭城を築き、229年にここを都に開設し、周囲11キロの都を「建業」と名付けた。
この事蹟によって、南京の歴史が始まったのである。
それ以降、東晋、宋、斉、梁、陳が相次いで南京を都にし、史書では「六朝」という。

南京は美しい都であった。
南京の雨花台には革命烈士の鎮魂碑が建っている。



毅然として前を見つめる革命の戦士たちである。
記述によれば、彼らは全員処刑された。



孫文の記念碑とともに巨大な霊廟も観光の目玉である。



中山陵である。
この階段を上って下を見ると、階段状でなく平らなスロープに見える。
見事な作りである。

さて、南京で脱線してしまった。
南京は時間をかけて触れたい場所である。

ぼくは夏の熱い数日間をこの街で過ごした。
そしてここから上海まで舟で向かった。

南京の港を出ると、直ぐに「南京大橋」にさしかかる。
中国の人たちの自慢の橋であった。

いまでは、かつての自慢に過ぎないのだろう。



南京大橋である。
二段になっていて、下の段は鉄路であって電車が走る。
上の段が道路で、歩道もついている。

焔が燃え上がる橋脚には、銃を構えた人民軍兵士が立っている。
橋は、いつの時代も戦略拠点であるのだ。

南京の悲しい歴史には改めて触れなければならないだろう。
今日はここまでとした。

太平天国の乱をはじめ、近代史的にも重要な街である。

太平天国の乱は、清朝の中国で1851年に起こった大規模な反乱である。
洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯(ちゅうたい)とした組織、太平天国によって起こされた。
内乱終結時には史上最も犠牲者の多い内乱として記録された、血ぬられた歴史の街でもある。

ぼくはこの雨花台の革命烈士の像に花輪を捧げたことを、いま改めて思い起こしている。




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               荒野人


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