平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

坂の上の雲 「二〇三高地」~昨日の専門家・明日の専門家

2011年12月12日 | 大河ドラマ・時代劇
 敵に噛みつく。石で頭をたたく。首を絞める。
 恐怖で頭を抱えて座り込む。機関銃の連射音に耳をふさぐ。泥まみれで殴り合う。
 ここで描かれる兵隊たちは決して格好よくない。アクション映画のような勇壮さも華麗さもない。
 日本兵もロシア兵もただ自分が生き残るために、目の前の敵を殺すだけ。
 <地獄>である。ただただ<地獄>である。

 ナレーションはこう語る。
 「近代国家というものは、必ずしも国民に福祉のみを与えるものではなく、戦場での死も与える物であった。国家というものが国民にこんなに重くのしかかったことはこの時以外にない」
 国家とは何であろう?
 庶民はただ笑って普通に暮らしたいだけなのに、国家は戦うこと、戦場で死ぬことを強制する。
 当時が弱肉強食の植民地主義、帝国主義だったから仕方がなかったのかもしれないが、この国家と国民のあり方は間違っている。
 主役は国民である。国家ではない。
 この現在の価値観が逆転する時代が来ることを決して許してはならない。
 
 ドラマでは、児玉源太郎(高橋英樹)を<有能>に、伊地知幸介(村田雄浩)ら参謀たちを<無為・無能>に描いていましたね。
 史実ではどうかわからないが、児玉が現状打開の改革者であるように描かれていた。
 そして、児玉の言葉の方が筋が通っている。
 「軍の秩序が維持されても日本が滅びてしまえば何にもならんじゃろう」
 「まず考えろ! 貴様らの作戦の中に何万の命がかかっているんだ」
 「銃弾がないのはどこも同じだ。与えられた条件の中で最善を尽くせ! 最善を尽くすというのは体を酷使することじゃ!」
 「参謀の不用意。不注意。今まで陛下の赤子を無益に死なせておいて何を言うか!」
 「貴様らは昨日の専門家である。明日の専門家ではない」

 伊地知らを少し弁護すれば、確かに現場にどっぷり浸かっていれば物事を客観的に見られなくなる。
 「自分たちだって一生懸命やっているのに」「何もわかっていないやつが勝手なことを言って」という思いに囚われる。
 それはわかるが、すべては結果。
 まして、伊地知らのいる所は命のやりとりがなされる戦場である。
 安易な判断、無為無策が何万もの命を奪う。
 また「要求した弾薬が届かないから要塞を落とせないんだ」と外に原因を求めているようでは、有能とは言えない。
 児玉が言うように、参謀は目の前の戦場に目を向け、与えられた条件の中で作戦を考えるのが仕事。外に原因を求めて、いじけていても何も生まれない。

 「貴様らは昨日の専門家である。明日の専門家ではない」という言葉は的確で、これは現在にも当てはまる。
 霞ヶ関の官僚たち。
 彼らはその分野の専門家かもしれないが、前例にとらわれた<昨日の専門家>である。何とか現状を維持しようとしながら打開策を見つけようとする。
 だが、問題を解決するためには大きな改革が必要。
 今回の児玉のような存在が、政治家であるべきなのだが、<明日の専門家>が現在の政治家の中にはいない。

 乃木希典(柄本明)は<無力>な人間として描かれていましたね。
 現状打開の方法を何も見出せずに、ベッドに横たわり呆然としているだけの老人。
 死んでいった兵士たちを思い、苦しみだけを背負っている老人。
 次男が戦死して「よう死んでくれた。二百三高地はどうか?」というせりふが乃木の心情を見事に集約して表現している。
 余談だが、東京・赤坂の乃木神社では、乃木の住んでいた家を外から見ることが出来、双眼鏡や乃木の書いた書などを記念館で見ることが出来る。



コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 有吉弘行VS熊田曜子 「別の... | トップ | 宮沢賢治の世界①~「カイロ団... »

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見ごたえはありましたよ (megumi)
2011-12-12 14:03:52
コウジさん 

いつも ピント外れのコメントで申し訳ありません
感覚だけで見ているオバサンの限界だと お察し下さい

昨日の放送
人間ドラマや有能無能はさておき
戦闘場面の撮影において NHK頑張っていましたね
映画並みのスケール?とは言いませんが
薄っぺらい「江」とは段違いでした

しつこいですが 「ソウル1945」で 
北からの侵攻場面の描写もテレビドラマにしては 予算を使っていると思いました
「ロードナンバーワン」も同じ感想を持ちました

50年以上の隔たりがあるにもかかわらず
日露戦争も朝鮮戦争も接近戦になれば
たいした進歩は無いのですね
要塞陥落や塹壕戦なども似てるように思いました
ただし 
私の記憶も近頃は怪しいので
コウジさんが ご覧になったら違っているかもしれませんね ^^;
返信する
近代戦 (TEPO)
2011-12-12 19:17:51
上でmegumiさんも書いてらっしゃるとおり、戦闘場面の描写は素晴らしかったですね。特に

>敵に噛みつく。石で頭をたたく。首を絞める。恐怖で頭を抱えて座り込む。機関銃の連射音に耳をふさぐ。泥まみれで殴り合う。

このリアリズムがいい。

>近代国家というものは、必ずしも国民に福祉をのみを与えるものではなく、戦場での死をも強制するものであった。
>国家と言うものが庶民に対してこれほど重くのしかかったことはこの時以外にない 。

このナレーションはおそらく司馬さんの原作にある文言なのでしょうね。
「国家の時代」である「近代」の「光」と「影」とを的確に言い表しています。
少なくとも近代国家の出現は戦争の様相を一変させ、これを格段に悲惨なものとしました。
「庶民が国家と言うものに参加したのは明治政府の成立からである……明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が兵士になった」。
さらには国民経済全体をも巻き込む「総力戦」となり、社会のインフラまで叩き合うようになり、非戦闘員までも直接(大量殺戮兵器)・間接に巻き込むようになりました。
日露戦争は日本人が最初に経験した近代戦であり、WW2で徹底的にその「影」に直面するわけですが、「近代」の本家である欧州人がこれを実感したのはWW1のようです。
その結果「近代」-人間の理性や科学技術の進歩-に対する無邪気な信仰が揺らぎ、20世紀になってからそれまで安易に「暗黒時代」扱いされてきた「中世」に対する再評価とまじめな研究も始まったと言われています。

ところで、原作よりも好意的に扱われ「無力だが誠実な老人」として描かれていた乃木と児玉との「男の友情」-児玉に「頼む」と頭を下げる乃木の素直さ、そして勝ち取った二〇三高地の視察を乃木に譲って遠慮した児玉の優しさ-はなかなか良かったと思います。
コウジさんは原作をよくご存知だと思いますので、乃木を「無能将軍」として辛辣に描いているという原作ではこのあたりどうでしたか。
返信する
人間臭い児玉 (よしぼう)
2011-12-12 22:02:13
>敵に噛みつく。石で頭をたたく。首を絞める。恐怖で頭を抱えて座り込む。機関銃の連射音に耳をふさぐ。泥まみれで殴り合う。

megumiさんもTEPOさんも言うように、確かにこの場面見事ですね。

こういう描写の嚆矢は映画「二百三高地」にもあります。日露両軍ともに弾を撃ち尽くしては石を投げ合い、銃座やスコップで殴り合い、果ては噛みつき、眼潰し、最後は首をゴキっと捻じ曲げるなどのシーンがあります。

ただ、さすがにNHKだけあって、グレードアップしてました。爆薬のもうもうとした煙や砂ぼこりの立ち込める中の肉弾戦は迫力が違いました。

ところで、児玉源太郎を<有能>で、参謀たちを<無能>とするのはどうでしょうか。
児玉には、二百三高地に着くと、魔法のような方法であっと言う間に、陣地を落としてしまったという伝説があります。映画「二百三高地」も、まるで乃木ではなく児玉が陣地を落としたように描かれています。
ただNHKの方は、児玉はその作戦を見ても、単に<有能>と言ってしまうよりも、極めて合理的な考えを持つ人として描かれています。
それと、今回はひたすら怒鳴ってばかりでした。でも、その点が単なる合理主義者というだけでなく、かえって人間臭くてよかった気がします。

伊地知については児玉を持ち上げるために、あえて、ああいう描き方をしているのでしょう。

参謀たちは確かに台詞にもあったように、やることはやっているのですが、国力に歴然とした差があるので、正攻法では難しかったのでしょう。児玉の作戦に反発するのは、児玉の作戦が彼らの常識を越えていたのでしょう。砲の移動は普通一日では無理な重労働でしょうし、味方に28サンチ砲を撃ち込むのは危険を伴うのは確かにその通りなので、<無能>呼ばわりはどうでしょうか。もちろん合理的で常識を越える発想をする人が<有能>というのならそれまでですが。

ただ、「坂の上の雲」は人間ドラマなので、乃木は乃木、伊地知は伊地知、児玉は児玉、参謀は参謀といった、いろいろな立場の人がぶつかり合うのが面白いので、NHKもそれぞれの人物の立場を重視して描いているように思います。

それと、夢を砕いて悪いのですが絶望的なトリビアを一つ、ロシア艦隊は実はボロボロで反撃する余力は全く残っていなかったのが実際のようです。つまり、二百三高地は全くやる必要のない戦いだったんです。ロシアは見事にそれを隠しとおし、日本軍にものすごい損害を与えたことになります。

それと原作未読ですが、乃木と児玉の指揮権移譲は今回の最大の見せ場の一つで、男の友情に熱くなりましたが、これはドラマの創作で、原作では、どうやら児玉は乃木をペテンにかけるような形で指揮権を取り上げるようです。

返信する
ナショナリズム (コウジ)
2011-12-13 08:03:43
megumiさん

いつもありがとうございます。

「ソウル1945」は現在、日本敗戦から少し経ったくらいの回で、まだ朝鮮戦争の描写部分を見ていなくて……、すみません。

僕は<個人は国より優先する>という立場の人間ですが、「ソウル」の日本敗戦の描写や今回の203高地を占領した兵士が「旅順港が見えます!艦隊が丸見えです!」と叫ぶシーンには、自分の中にある<ナショナリズム>を感じてしまいます。
自分の思想・信条に反して、日本が敗戦を迎えれば「うむ……」と思ってしまうし、「旅順港が見えます」と叫ばれれば「やった!」と思ってしまう。
国家、民族というのは厄介な問題ですね。

返信する
国家 (コウジ)
2011-12-13 08:31:27
TEPOさん

いつもありがとうございます。

作品から何を感じるかは人それぞれだと思いますが、僕の中に残ったのは、「国家」に関する一連のナレーションでした。

「庶民が国家と言うものに参加したのは明治政府の成立からである。明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が兵士になった。近代国家というものは、必ずしも国民に福祉をのみを与えるものではなく、戦場での死をも強制するものであった。国家と言うものが庶民に対してこれほど重くのしかかったことはこの時以外にない」

的確な国家論ですね。
そして江戸時代の庶民が「国家」というものを意識しなかったように、「国家」なんてものがないと思えば、存在しないんですね。われわれも普段は、オリンピックの時とか以外、日本国民であることを考えずに生きていますし。

WW1、そしてww2。
戦争の歴史はどんどん大量殺戮に発展している。
そして今度大国間で戦争が起きれば、核戦争になり人類は滅びる。
武士がお互いに名乗り合って、いくさをしていた時代の方がのどかで害がなくていいですね。
進歩とは一体何なのかと考えさせられます。

乃木と児玉の会談については、僕もよしぼうさんのように、映画「二百三高地」にはありましたが、原作にはなかったように記憶しています。
夏目漱石の「こころ」では、明治天皇の死と共に乃木希典が殉死し、主人公の先生も自殺するという描写がありましたが、この明治人の心象というのは面白いですね。
司馬さんの乃木希典を描いた「殉死」や前回TEPOさんが紹介されていた芥川の作品などを読んで、いろいろ考えてみたい所です。
返信する
合理思想 (コウジ)
2011-12-13 09:06:31
よしぼうさん

ご指摘ありがとうございます。

>児玉はその作戦を見ても、単に<有能>と言ってしまうよりも、極めて合理的な考えを持つ人として描かれています。

おっしゃるとおり、<有能>という言葉よりは<合理的考えを持つ人>という言葉の方が的確ですね。
伊地知の方も現場にどっぷり浸かりすぎて、現状を客観的に見られなくなり、合理思考が出来なくなっていたと考える方が妥当でしょう。

伊地知たち参謀のことは、実はよく理解出来るんです。
僕が会社勤めをしていた時の上司は、児玉源太郎のような人で、われわれ現場が「そんな無茶な」というようなことを何度もさせられました。「頭を使え。体を酷使しろ」といって怒鳴られましたし。
児玉と伊地知たちを見ていると、当時の自分を見ているような気がしてなりません。
そして、おそらく勝つためには、児玉や上司のようなやり方は必要なんですね。
それがいいか悪いかは別の問題として。

よしぼうさんがおっしゃる児玉の非常識についても、あることを思い出しました。
僕が二年間お世話になっていた某王手レコード会社のスローガンは<業界の非常識は××××の常識>。ちなみに××××にはレコード会社名が入ります。

>夢を砕いて悪いのですが絶望的なトリビアを一つ、ロシア艦隊は実はボロボロで反撃する余力は全く残っていなかったのが実際のようです。

そうなんですか。なるほど。
それから別に、<夢は砕かれていない>ので、大丈夫ですよ。
おかげでますます戦争の愚かさを実感しました。
ということは、こんなバカげたことのためにたくさんの命が失われたのですね。
本当に戦場には、喜劇と悲劇が溢れていますね。
返信する
同感です (megumi)
2011-12-13 09:33:39
コウジさん おはようございます

>「ソウル」の日本敗戦の描写や今回の203高地を占領した兵士が「旅順港が見えます!艦隊が丸見えです!」と叫ぶシーンには、自分の中にある<ナショナリズム>を感じてしまいます。

分ります
私も そう感じました
日本の敗戦に大喜びする人々を見て 複雑な思いもしましたし 203高地占領のシーンでは「やった!」と思いました

映画もドラマも視点を変えれば全く別物が出来るわけで
そこが面白くもありますよね

勉強不足で間違っているかもしれませんが
日韓併合は あの時代ならば やむを得なかったような気がしています
(弱小国は列強の属国になるしかなかった)
ただ 豊臣秀吉の朝鮮出兵には疑問だらけです
「不滅の李舜臣」を見た時は ナショナリズムを全く感じませんでした

「ソウル」は これから話が動き始めますので気長にお楽しみ下さい
そして 余裕があれば李舜臣も・・・♪
人物像もフィクションでしょうが 私は好きでしたよ
返信する
勉強になっています (コウジ)
2011-12-14 09:47:59
megumiさん

「ソウル1945」を紹介していただいて、本当に感謝しています。

ドラマとはどうあるべきかを考えることが出来ましたし、戦争中の日本の朝鮮支配の実態もわかった。
詳しくは、来週「ソウル」について書くつもりですので、もしよろしければ読んでみて下さい。

それと、ナショナリズムは厄介ですね。
出来れば、オリンピックやワールドカップなどで発散できればいいのですが、今、韓国で中国漁船のことでデモが起こっているように、日本でも同じことが起きたら、きっと「この野郎!」と思ってしまう。

「不滅の李舜臣」も見てみますね。
何と言っても韓国は隣国ですからね、その歴史を知っておくことは、とても大事なこと。
ドラマで描かれる、子供の父や母への対し方やおじぎの仕方なんかも文化を感じて、面白いなと思っています。
返信する
全体最適エンジニア (サステナブル)
2021-06-10 15:45:28
ダイセルリサーチセンターの久保田邦親博士(工学)はなかなか大物の研究者のようだ。
返信する
ありがとうございます (コウジ)
2021-06-11 08:14:14
サステナブルさん

教えていただき、ありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

大河ドラマ・時代劇」カテゴリの最新記事