平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

西郷どん 第27回 「禁門の変」~中村半次郎との絆。慶喜はゲームを支配すべく、吉之助らを駒として動かす

2018年07月23日 | 大河ドラマ・時代劇
 戦いは戦いを呼び、憎しみは憎しみを生む。

 今回の長州がそうだ。
 八月十八日の政変→池田屋事件→禁門の変。
 やられたらやり返すの報復の応酬。

 人間の歴史ってこれの繰り返しなんですよね。
 現代を例にとってみれば、
 アメリカがイラクを攻め、アメリカ憎しのイラクの残党が「イスラム国」をつくりゲリラ戦やテロをおこない、そんな「イスラム国」に対してアメリカは報復する。
 果てしなく続く憎しみと戦いの連鎖。
 これを断ち切ることはできないのか?

 これらの戦いに民が巻き込まれるのも歴史の常で、吉之助(鈴木亮平)、桂小五郎(玉山鉄二)が危惧したように、禁門の変で京は火の海になってしまった。

 言葉や理想というのも無力だ。
 吉之助は長州に投降をすすめ、長州兵も刀を捨てたが、会津兵が斬り込んできて殺戮の場に。

 人間を行動に駆り立てるのは、思想・イデオロギー・理想・宗教・名誉・カネ・権力欲・怒り・憎しみなどですが、〝怒り〟や〝憎しみ〟というのはどんなものより強く、〝理想〟や〝正論〟などは簡単に吹き飛んでしまうものなんですよね。
 怒りや憎しみにとらわれた人間ほど激しいものはないし、人間は非日常の場では基本、非理性的。
 これに〝偶然〟〝行き違い〟〝誤解〟といった要素が加わるから、人の世から争い事がなくなることは永遠にない。

 今回はそんなテーマのエピソードだった。
 大きな歴史の流れの中で、正論と理想を説く吉之助と桂は無力だった。
 ………………

 そんな中、吉之助と中村半次郎(大野拓朗)のエピソードは心温まるものだった。
 吉之助は半次郎の耳もとでささやく。
「平岡さんの件、おはんじゃなかな?」
「はい」
「よかった」

 吉之助は半次郎を信頼している。
 半次郎も信頼している。
 国抜けをめぐる過去のわずかなやりとりだったが、半次郎には吉之助の言葉がしっかり染み込んで大きく育っていた。
 言葉は無力だが、こんなふうに根づいて大きく花開くこともあるのだ。
 ………………

 慶喜(松田翔太)はブラック路線をひた走る(笑)
 そりゃあ、平岡を殺したのが身内の水戸藩士だったら誰が敵か味方かわからなくなるよね。

 こんな状態で生きのびる方法は〝自らゲームを支配すること〟。
 吉之助、桂、久光、帝、幕府といった駒を動かし、自分に有利にゲームを進めていくこと。
 慶喜はゲームのプレイヤーでなければならず、駒になったらたちまち利用され、やられてしまう。

 当面、慶喜は吉之助を強い駒として育てていく方針のようだ。
 この関係は『清盛』の後白河法皇と清盛の関係に似ているが、そう言えば後白河法皇もすごろくをやっていたな。
 松田翔太さんはこういう役が多いですよね。

 それから忘れずに書いておくと、来島又兵衛を演じたのは長州力さんでした!
 1回で退場してしまう役のキャスティングとしては正解ですよね。
 大物俳優を1回で退場させるわけにはいかないし、無名の俳優さんではインパクトがない。
 来島又兵衛は猪突猛進の戦う男ですし。

コメント (4)
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