平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

国有地払い下げ疑惑~森友学園HPに書かれている安倍政権との関係。語るに落ちたか?

2017年02月20日 | 事件・出来事
 9億円の国有地をタダ同然で払い下げた森友学園。
 そのHPにアップされている理事長の言葉がこの事件の真相を語っているように思える。

 小学校設立の経緯について、籠池理事長はこう書いている。

★平成27年1学期
 我が塚本幼稚園幼児教育学園が建設、開校する瑞穂の國記念小學院も多くの左翼園長方の反対をものともせず、多くの方々の支援のもと私立学校審議会に設置妥当の答申を受け、国有化審議会も無事通過し、いよいよ建築の運びとなりました。当初より高くなっている建築コストを含め様々クリアしなければならぬことがめじろ押しですが、安倍首相(の大変さ)に比較すればたいしたことはないと認識しています。


<多くの方々の支援のもと私立学校審議会に設置妥当の答申を受け、国有化審議会も無事通過し、いよいよ建築の運びとなりました>って書いてある。
 この〝多くの方々〟とは誰なのかを明らかにしてもらいたいものだ。

<高くなっている建築コストを含め様々クリアしなければならぬことがめじろ押しですが>
 っていうのもなぁ。
 だから国交省から6200万の補助金をもらったのか?
 ………………

 安倍首相との関係も語ってる。
 
平成25年7月
 民主党政権時の“鳩ポッポ” “ア管” “ノーダ”が、まさにその通りで大変だった事を思い出してください。
 リーダーシップとは立ち位置をしっかりとブレてはならない明確な方向性をもっているリーダーが発揮できるものであります。
 安倍晋三政権と相連動し、教育的観点から繰り出してきた真の日本人教育を進めている塚本幼稚園。


<安倍晋三政権と相連動し>って書いている。
 どういう連動をしているのかね?
 一方的に、籠池氏がラブコールを送っているだけ?
 それともズブズブ?

<“鳩ポッポ” “ア管” “ノーダ”>という表現も教育者としてどうなんだろう?
 籠池氏は、民主党・共産党・社民党が嫌いらしい。
 平成27年2学期にもこんな表現がある。

 これはお題目ではない。日本の伝統文化を守り発展させようとする保守安倍晋三政権と、歴史と伝統の文化を崩壊し滅亡させようとする(日本衰退待望クーデター=民主・共産・社民)との攻防が今や最中である。
 これって完全にネトウヨの発想ではないか?
 これは、あくまでも個人的な発言?
 これを園児たちに教えていたら政治的中立性を求める教育基本法違反だよね?
 ………………

 安倍首相礼賛は全編にわたって書かれている。

平成28年1学期
 安倍晋三内閣総理大臣のように身近な人をモデルにし、偉人を手本とすることです。人は大人になってから社会の役・人の役に立つように幼き時から学習・勉強をするものであり、自らの栄達や金儲けばかりを目的にするのでは虚学・虚勉となり人格の向上もなく利己的が表面に出るものですから事業の後継が育たなかったり、事業そのものがダメになる。神の摂理に反するということです。


 これって北朝鮮かよ!
 あるいは、どこかのカルト宗教か?
 でも、自分に火の粉が及ぶとなったら、安倍さんはあなたを切るよ。
 それと、<金儲けばかりを目的とする>って書いてあるけど、今回の学校設立で結構、儲けたんじゃないの?
 結局、いくらで小学校を建てたのか、話してみなよ。

 語るに落ちたとは、このこと。
 籠池氏にはぜひ<多くの方々の支援>や<安倍政権との連動>について語ってほしいものだ。


※参照
 塚本幼稚園HP 園長の部屋

コメント
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おんな城主直虎 第7回~直親と政次の決裂。友情と生き残りの狭間で揺れるふたり

2017年02月20日 | 大河ドラマ・時代劇
「隠していたことが露見した時に今川より落ち度を責められるのは小野だ。
 そうなった小野を井伊は守りはせぬであろう」
 直親(三浦春馬)は政次(高橋一生)にこう言い、隠し里を明らかにするかどうかを政次に委ねる。

 政次としては、
「俺もいっしょに責任をとるから隠し里の件を黙っていてほしい」
「露見した時の策をいっしょに考えよう」
 と直親に言ってほしかったんでしょうね。
 それが<竹馬の友>の関係。
 しかし、直親は<領主と家老><井伊と小野>という関係で話をし、露見した際の責任を小野に押しつけてきた。
 おまけに〝竹馬の友であるお前を信じているからな〟と暗に念押し。
 昔の関係を利用して、政治的な要求をしてくる。
 井伊家を守る次期当主としては正しいのだろうが、政次としては寂しかったでしょうね。

 だから政次は万が一のための対抗手段をとらなくてはならなかった。
 隠し里の差し出しを破棄せず、いざという時の証拠として残しておいた。

 そして隠し里が露見。
 直親は逃げて、
「そこは、なにぶん帰参したばかりでございまして。
 但馬、この里は井伊のものではないのであろう?
 差し出しを渡した時も何も言うておらなかったが」

 これは現代の政治家が秘書に責任を押しつけるのと同じですね。
 政次はとっさの機転で難を免れたが、これでふたりの関係は完全に決裂したような気がする。
 政次も差し出しを懐から出そうとしていたし。

 表面にはあまり表れていないが、ふたりの間で交わされた壮絶な心のドラマ。
 不信、友情、主君と家臣、おとわをめぐる想い、冷酷、怒り───
 さまざまなものが入り交じって、ぶつかり合っていた。
 直親は、かつての<友情>より次期当主として<井伊家を守ること><生き残ること>にシフトしたんでしょうね。子供の時の生きるか死ぬかの逃亡が彼にそうさせた。
 一方、政次は、かつての<友情>を信じたかった。そのために、さまざまなことに耐えてきた。
 しかし、ふたりは大人になってしまった。
 <友情>などと甘いことは言ってられず、やらなければやられてしまう。

 そんな中、次郎法師(柴咲コウ)が隠し里で唱えたお経が美しく印象的だった。
 俗世のドロドロとした思いを浄めるお経。
 この時だけ、直親と政次の心は鎮まり、穏やかな気持ちになったことだろう。

 ………………………

 最後は仏教講座。
 南渓和尚(小林薫)は次郎に語った「目に見えぬ所で何かの役に立っておるかもしれんし」
 これは仏教で言う〝因縁〟〝因果応報〟ですね。

 次郎の存在が、直親と政次の決定的な決裂を妨げ、政次に「南朝の皇子が隠れ住んでいた」という言い訳をさせた。
 次郎がいなかったら、あの時、政次は差し出しを見せていただろう。
 目には見えないが、次郎法師は直親と政次をかろうじて繋ぐ糸の役割をしている。
 
コメント (8)
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