たしか昨年の夏祭りの頃 頭領らしき人に 「若い人には 何の祠か分んないでしょうね…」とつぶやいたら・・・鳥居脇の桜の木の下に説明立札が建っていた。多分自前の札と思います。感謝と敬意を込めて 読み取り記録します。
〓『岩手山神社(新山堂)・・・ 新山小路には 岩手山の遙拝所があった。「新山」というのは 本山に対して新しく神霊を勧請して祀った神社に名付けたものであって 岩手山麓の岩手山神社本社に対し 城下に建立した遙拝所を 新山堂と呼んだものだった。 一般には 「お新山さま」などと呼んでいた。 寛永3年(1626)南部利直公の建設と伝えられ そののち慶安元年(1648)に重直公が再建したといい 盛岡の城下町開町とともに親しまれてきた堂社であった。 そして7月7日の祭礼には 三戸町 長町 材木町などの最寄りの町内が連合して賑やかな夏祭りを催したものであった。 明治2年(1869)になって 新山堂は「岩手山神社」と改称された。 昭和45年頃 区画整理によって 新山小路から現在の土地に移転した。』〓