『盛岡城内 綱御門から大手門方向は 霊地愛宕山へ 艮(ウシトラ:鬼門)は永福寺所在地へ・・以下(略)』と城下の町割の方角は 地形とも密接に関連させながら かなりこだわりをもった法則で当時決定していて しかも 解りやすい。(当時は 地図検索がなかった!)
写真中心部の里山中腹にある展望台所在地の山が その霊地愛宕山。やや右方向のビル(ホテル)のさらに右側が鬼門の方角と云うことになります。
かの霊地には 福岡藩黒田家筆頭家老であった栗山大膳(1591-1652)の南方を向いた墓が「恩流寺」地内にある。
父利安が黒田如水(官兵衛)から拝領した「銀白檀塗合子形兜」(ゴウスナリカブト)は 流刑(南部家預かり)となった家督の大膳が持参し 後に子孫から南部の殿様へ献上され所蔵 現存。
こだわり方角の縁結びとも云うのでしょうか。時間を超えた不思議な力を 山を眺望するたびに感じます。[長文御容赦 m(__)m]