桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2014・1・20

2014年01月21日 | Weblog
昨日の夜10時すきに羽田に着いてから母を家まで送り届けて真っ先にしようと思ったことは、自分の部屋で生卵ご飯を食べることと決めていたのに、タクシーを待っている間に目の前にあったラーメン屋が気になり始めて、つい我慢できなくて飛び込んでしまったのだけど、これが大間違い。以前はとても美味かった店だったのに、それにハワイでの貧困食生活の後でインスタントラーメンでも美味しい筈だったのに、何故か絶望的に不味くて、ひどく淋しく哀しい気持になってしまったもんだから、今日はそのリベンジとばかりに朝ご飯をしっかり炊いて、まいたけとえのきの味噌汁、明太子、市販の白菜漬け、納豆、そしてそして一つ30円の生卵をスーパーで買って母の処へ出向き、念願の純和風生卵かけご飯で生き返る。食後行く途中でプリントした写真を見ながらのたった一日しか経ってないけどハワイ旅行の思い出話。母にどっても楽しかったかも知れないけど、俺にとっても母と丸一週間それも寝るときも含めて二人きりで24時間一緒に過ごすなんてことは、大袈裟にいうと二才違いの弟が生れた64年前以来のことだったに違いなく、そしてその頃と違って大人の言葉を理解することが出来るようになった息子は食事をしていてもワインを飲んでいても海を見ていても母の人生をたっぷりと聞き続けるなんて得難い時間を過ごしたのだった。夕方新しい店を設計してくれる一級建築士のFさんと打ち合わせするまでに時間が空いたので、母の人生の苦労話を追体験したくって、俺が生れてから小学校に上がり鎌倉に引っ越すまでに転々とした街を某区役所の資料閲覧室でコピーして貰った60年前の地図と現在の地図とを参照しながら歩いてみる。K駅は子供の頃の記憶と殆ど変わってなかった。でも、幼稚園の近所は確かどぶ川が流れていた筈なのに埋め立てられて道路になっていたし、区画整理で環状七号線が開通したからか俺が子供の頃に住んでいた隣近所は俺が住んでいた家も含めてなくなっていたかと思うと、次に引っ越した場所は当時千秋楽になると弟とテレビで相撲を見る為にかけそば一杯で粘った蕎麦屋はまだ残っていたりして、ちょっとしたタイムスリップの時を過ごしたりした。6時過ぎ恵比寿に戻ってFさんと新しいプランでの打ち合わせ。基本コンセプトは黒を基調にした洒落た空間作り。けれどもそこに母とその母、つまり俺の祖母のjarjan(祖母の愛称)の香りが漂う様な極めて私的な雰囲気も作りたくあれこれ構想を練る。8時にHさんと麻布十番で待ち合わせ。彼女が正月に郷里に帰った時の土産と俺のハワイ土産を交換しながら何年ぶりかで旧知の焼鳥屋Sで飲む。Sの焼鳥は極上。Hさんとのお喋りタイムも極上。だけど、彼女は知り合いの恋人。