去年亡くなられたある方の遺稿集という分厚い本が送られてきた。どうしてそんなに分厚いのかというと、未完の長編小説が収められていたからだ。申し訳ないけど、今その長編を読んでいる時間はない。そこで同時に収められている同人誌や社内報や友人の追悼文集などに故人が書いた短いエッセイを読むことにする。それはそれで故人の人柄を偲ばせるものだったが、俺はそれらを読みながら別のことを考えていた。学生時代に書いたものや二十数年前に亡くなった友人の追悼文をよくも集められたものだ。いや、集めるのはちょっと無理だし、故人が保管していたに違いない。そうか。人に寄っては自分の書いた文章が活字になったりすると大事に取っておくものなのかもしれない。いや、他人事みたいに馬鹿にした言い方はよくない。俺だって脚本家時代は雑誌や新聞に発表したものも含めて全ての執筆物を年代順にファイルにして本棚の目立つ処においておいて、俺が突然死した時に家族が見つけやすいようにしておいたものだ。人間ってそれほど自己顕示欲が強い動物ってことか?。でも、こういう言い方をするってことはいかにも自分の中から自己顕示欲が消えたみたいだけど、事実、脚本家をやめた時に自分の書いた脚本、エッセイなどを発表した雑誌、それに新聞の切り抜きなどを全部捨ててしまって、過去を断ち切ったつもりだったが、飲食店を始めてから依頼されて書いた某映画雑誌の連載エッセイ、某婦人雑誌に一年連載した料理エッセイ、某川柳雑誌に連載中のエッセイ、その他某作家に頼まれた文庫のあとがき、某雑誌に掲載した友人の作家論など、気づいてみたら芝居の台本以外にも「執筆物」はいつの間にか溜まっていて、一部は消失してしまったが殆どは捨てずにとってあるってことは、この自己顕示欲って病気からは逃げられないってことか?というかこの日記こそ自己顕示欲の最たるもので、今日で2770日連続更新中だと。人によっては何故あんなことまで書くの?と俺の露悪趣味を非難するけど、最近の話題でいうと社長秘書のyさんとのバーチャルでの恋物語や二時間ドラマ「どぶねずみは誰だ?」も含めて、読み物を装いながらもその裏に隠された俺の真摯な心根や怒りを自己顕示する場所としてこの日記は俺にとってとても大事なものになりつつある。こうなりゃ意地でも3000日までは続けてみたいので、皆さんよろしく。●桃井章プロデュース・津森久美子ファドライブ『リスボンの夜vol3』ポルトガルギター演奏・西村輝彦、6/24(日)開場12時開演14時・料金3000円 ~ご予約お問い合せはコレドシアター03ー3470ー2252まで