俺と母がハワイ惚け惚けになって帰ってみたら、いくつかの問題がドッと迫ってきていた。まずは会社の本店移転手続きをしなくては新しい店の営業許可がとれないので、その手続きをとる為に動く。次にAさんに会ってその新しい店の開店資金の工面に当たる。続いて昨日一級建築士のFさんと打ち合わせした新しい店のカラーとコンセプトについて色々と考えてから結論を出してFさんに連絡する。彼は建築士だけど、今回は店舗内装デザインまで踏み込んで考えてくれるので全面的に信頼することにする。言わば芝居における演出家と舞台美術デザイナーの関係だ。でも、迫ってきた問題はそれだけじゃない。今住んでいるマンションには母がここを買った時にルーフバルコニーに七宝焼の仕事場としてプレハブを立てたのだけど、元々は共有部分のそのスペースに防水改修工事をするので一時的に撤去してほしいとの要望が管理組合からあって、困り果てる。まだ母の七宝焼に使う高熱釜などの仕事道具がぎゅーぎゅー詰めになっているそのプレハブを一時的なんか撤去できない。全面的に撤去するしかない。その場合とその費用はどうなるかと云うと、元々は共有部分と知って立てているのだから所有者であるこっちが払わなくてはならない。業者に見積もりを出して貰うことになったけど、一万二万で済む話ではないことはいくら経済音痴の俺でも分かる。十万二十万単位の話でもなさそうだ。ということは俺が担当するのは無理。元々の所有者だったMotherのM資金に頼るしかないのか?。
この日記を読んでいる常連客のAさんから電話があって、運転資金がなくなってコレドはクローズし、次のお店も開店資金の目処がなかなか立たないと嘆いているから同情していたのに、いくら母親孝行とはいえ、二人分の費用となると一週間で何十万もかかっただろうし、よくもそんなお金があったわね?と皮肉を言われる。まぁ、普通に考えれば当然だ。でも、去年一年は役員報酬を一円も貰わず、わずかの年金と著作権収入と知人からの借金でやりくりしてきた桃井章にそんな何十万もの余裕がある訳ない。だったら何処からそんな大金を捻出したのか?いや、まだ捻出してない。飛行機代もホテル代もレストラン代もお土産代も全てクレジットカードでの支払いである。多分今回の旅行分だけで四十万は確実に超える請求が今月末には届く筈である。そしてその引き落としは二月十日。勿論、そんな金額は俺の通帳に印字されてない。本当は途方に暮れて、また絶望的になっていてもおかしくはない。でも、今日現在なってない。何故か?実は‥‥と種明かししたい処だけど、明るみになると色々問題が出てくるので、「M資金」とだけ答えておこう。その資金を充てにしての旅行から帰ってきて二日目の今日は老老ランチはお休みだったし、時差ボケの影響がちょっとあったから部屋から一歩も外に出ないで、掃除と洗濯に明け暮れる。後はソファに横になって旅行中に録画しておいた「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)やその制作秘話の「ノンフィクションW」を見たりして過ごす。映画本編はこれで三度目だったが、制作秘話で語られる大島監督の意気込みを知り、作品のテーマがより鮮明に分かった気がした。食事は買い物に行かなかったのて、朝昼兼用でいただきものの稲庭うどんといぶり大根漬けとやりいかの煮つけ、夜は同じくいただきもののレトルトのカレーハンバーグと昨日買ったワサビ菜のサラダ。アルコールは一滴も飲まずに久々の休肝日。
昨日の夜10時すきに羽田に着いてから母を家まで送り届けて真っ先にしようと思ったことは、自分の部屋で生卵ご飯を食べることと決めていたのに、タクシーを待っている間に目の前にあったラーメン屋が気になり始めて、つい我慢できなくて飛び込んでしまったのだけど、これが大間違い。以前はとても美味かった店だったのに、それにハワイでの貧困食生活の後でインスタントラーメンでも美味しい筈だったのに、何故か絶望的に不味くて、ひどく淋しく哀しい気持になってしまったもんだから、今日はそのリベンジとばかりに朝ご飯をしっかり炊いて、まいたけとえのきの味噌汁、明太子、市販の白菜漬け、納豆、そしてそして一つ30円の生卵をスーパーで買って母の処へ出向き、念願の純和風生卵かけご飯で生き返る。食後行く途中でプリントした写真を見ながらのたった一日しか経ってないけどハワイ旅行の思い出話。母にどっても楽しかったかも知れないけど、俺にとっても母と丸一週間それも寝るときも含めて二人きりで24時間一緒に過ごすなんてことは、大袈裟にいうと二才違いの弟が生れた64年前以来のことだったに違いなく、そしてその頃と違って大人の言葉を理解することが出来るようになった息子は食事をしていてもワインを飲んでいても海を見ていても母の人生をたっぷりと聞き続けるなんて得難い時間を過ごしたのだった。夕方新しい店を設計してくれる一級建築士のFさんと打ち合わせするまでに時間が空いたので、母の人生の苦労話を追体験したくって、俺が生れてから小学校に上がり鎌倉に引っ越すまでに転々とした街を某区役所の資料閲覧室でコピーして貰った60年前の地図と現在の地図とを参照しながら歩いてみる。K駅は子供の頃の記憶と殆ど変わってなかった。でも、幼稚園の近所は確かどぶ川が流れていた筈なのに埋め立てられて道路になっていたし、区画整理で環状七号線が開通したからか俺が子供の頃に住んでいた隣近所は俺が住んでいた家も含めてなくなっていたかと思うと、次に引っ越した場所は当時千秋楽になると弟とテレビで相撲を見る為にかけそば一杯で粘った蕎麦屋はまだ残っていたりして、ちょっとしたタイムスリップの時を過ごしたりした。6時過ぎ恵比寿に戻ってFさんと新しいプランでの打ち合わせ。基本コンセプトは黒を基調にした洒落た空間作り。けれどもそこに母とその母、つまり俺の祖母のjarjan(祖母の愛称)の香りが漂う様な極めて私的な雰囲気も作りたくあれこれ構想を練る。8時にHさんと麻布十番で待ち合わせ。彼女が正月に郷里に帰った時の土産と俺のハワイ土産を交換しながら何年ぶりかで旧知の焼鳥屋Sで飲む。Sの焼鳥は極上。Hさんとのお喋りタイムも極上。だけど、彼女は知り合いの恋人。
昨日は太平洋に沈む夕陽を見ながらウイスキーを飲み続け、10時過ぎには眠ってしまったこともあって、日の出前に起きてしまった。も、そのお蔭で太平洋に昇る朝日を見ることが出来て、大満足。朝食は馴染み?の「KAI」でバイキング。朝からカレーがあるなんてやるじゃんと思ったら、パイナップルとパパイヤとトマトと何かの煮込みだったらしく無理して食べたら気持ち悪くなる。今日でハワイは最後なのに市内観光もしてないのにきづき、ホテルをチェックアウトした後、空港に向かうまでの間、ダイヤモンドヘッド行きのバスに乗ってみる。でも乗るだけ。何もなかったのでそのまま帰る。日本時間12時半ホノルル空港離陸。後はおぼろの空の旅。常夏の島から真冬の東京へ。九時間で季節が変わった。
母と買い物。靴、バッグ、ハワイ土産そしてお揃いの時計を買ったりする。そう、90うん歳の母と66歳の息子の老老ペアウォッチ、どうだ?凄いだろ?と言ってしまおう。それにしてもハワイって気候はいいし、海はきれいだけど、食べ物がどうしようもないと思うのは俺だけか?ステーキかシュリンブかピザかチャイニーズしかハワイにはないのか?というよりホテルやレストランでの外食に5日でギブアップしているのだ。海外旅行は三年前のポルトガルの時のように自炊できるホテルじゃないと俺は無理だ。後1日。帰ったらすぐご飯を解凍して生卵ご飯を食うぞ
常夏のハワイに訃報は似合わない。でも彼は死んでしまったみたいで、何人もの共通の知り合いからハワイにいる俺に知らせが届く。中村良男さん、元日本テレビプロデューサー。最初に出会ったのは「俺たちの勲章」という松田優作と中村雅俊主演の刑事ドラマ、続いて「俺たちの旅」「俺はおまわり君」など中村雅俊主演の青春ドラマ、他にも一年だけサブで入った「太陽にほえろ」など幾つもの番組で「書けなくて」「書かない」新人脚本家の俺を起用してくれた。最近はお会いする機会も滅多になくなっていたけど、そのたびに俺にどうやってエンドマークまで書かせたか、その苦労話めいた自慢話ばかりするので俺としては困ったような嬉しいような気分にさせられたのもいい思い出だ。まだ70歳になったばかりだったと思う。俺の原稿をとるのに苦労したのが寿命を縮めた訳じゃないだろうけど、もう少し「俺たちの旅」を続けて欲しかった青春をやって欲しかった。ご冥福をお祈りします。
今日の朝食は和食。といっても和食は和食でもローソンのおにぎりとオデン、それにカップ味噌汁だけど、これまで何回かの海外旅行では絶対和食は食べないと決めていたけど、母と一緒だとそうも言ってられない。その代わり散歩したあとはテラスでハワイビールを飲み続ける。そして夜は一昨日も行ったホテルの中にある「KAI」でカルフォルニアワインを空けながら掌大のローストビーフを三枚と鴨肉の照り焼き、ポークソテーなどなど肉三昧。おまけにカレーライスとマッシュポテトまでお腹に詰め込んで後はベッドに倒れこむしかない。でもハワイ時間のまだ9時過ぎ。飲んで食べてまた飲んでばかりで時間がゆっくりとしか経たない
よく眠る。眠るのが趣味みたいな二人には時差は関係ないみたいだ。昨夜も日本時間の5時(ハワイ10時)過ぎに寝て今朝は13時過ぎ(8時)まで快眠。朝食は夕べホテルの中にあったローソンで買っておいたサンドイッチとサラダとジュースをテラスのテーブルに並べてワイキキの浜辺を見下ろしながら食べる。食後ホテルの周りを母と散歩。スタバで珈琲。カメラのバッテリーの調子がおかしくなったので、母をホテルまで送ってからクヒオ通りのカメラショップ→アラモアナモールのラジオシャックと走り回る。切実な問題に直面するとJapanese EnglishGでも役にたつ。一旦ホテルに戻って一時間ほど昼寝。夕食は買い物と散歩を兼ねて再びクヒオ通りに出て、シーサイドバー&グリルで母はロブスターとブルーハワイ、俺はステーキと地元ビール。まぁまぁ堪能。帰りにまた安物の買い物をして9時すぎホテルへ。テラスに出てワイキキビーチの夜景見ながらジャックダニエルを飲んでいる内に睡魔。ハワイ2日目が暮れてい
く。
く。
日本時間で朝5時過ぎにハワイホノルル着。羽田を離陸後老老コンビはほとんど眠っていたので気分体調共に良好。ホテルはまだチェックイン出来ないので付設の海岸沿いのバー「EDGE」で母はマウタイ、俺はモヒート。母と一緒だと気取る必要もないので首からカメラを、肩にはバックをさげたTHE日本人。こんな格好をしていると隣にいる水着の女の子と親しくなる努力は最初から放棄だ。2時にチェックインしたらアルコールの力も手伝って二人共に三時間近く昼寝。ベランダから海風が入って気持ちいい。起きてから海岸沿いのプロムナードを散歩。ダイヤモンドヘッドが夕日に照らされて美しく、海が透き通っていて、すっかりハワイ気分。ホテルに戻ってレストラン「KAI」でバイキング式のディナー。本当は誕生日のお祝いをちゃんとしようかと思ったけど、二人ともこっちの方が気楽。でもワインをボトルでオーダーして乾杯。その後は母の人生のトークショー。91年の人生はまだ二十歳の頃でストップしたままだ。こっち時間の11時、日
本時間の夕方6時には二人共ベッドイン。
本時間の夕方6時には二人共ベッドイン。
鞄問題は妹が使ってない鞄を貸してくれたので解決。と云っても旅慣れた人間みたいに母と俺二人で手荷物容量を少しオーバーした程度のその鞄と俺がいつも持ち歩いている鞄で済んでしまうのだから少し騒ぎすぎた。と云うより旅行って何を持っていくかより何を持っていかないかだ。本当は日記を書くためにこのパソコンを持っていこうと思ったけど、この一週間は携帯で日記を書くことにして取りやめる。昨日ファイルを全部削除してしまったビデオカメラも充電その他面倒臭いので中止して一眼レフだけを持っていくことにする。本はペソアの「不穏の書、断章」とハワイ行きの為にとっておいた中村文則の「悪意の手記」の二冊。服装だって別にフォーマルなドレスコードのある店には行くつもりはないので、鞄に詰めたのは夏物のジャケットと、後は向こうで洗えばいいんだし三日分位のTシャツと下着靴下だけだ。とは云うもののやはり海外旅行は海外旅行だし、何かの時に備えて身の回りの整理整頓をしたついでに、今年は年頭に書かなかった「エンディングノート」に延命治療は「望まない」とだけ記しておく。これだけは絶対世界中の人々に向って宣言しておかなくては。夕方テレビの録画予約を追加したついでに以前から録画したままになっていた「かもめ食堂」(荻上直子監督)を見る。映画自体も抑制が効いていて、いい映画だと思ったけど、俺が旅行支度を忘れて見入ってしまったのは、フィンランドで日本食堂をやると云う主人公の設定だ。これば群ようこの原作にあるのだろうけど、俺はポルトガルのリスボンでこんな食堂をやるのが夢だったのだ。生きている内に出来るとは思えないけど、夢だけは捨てずにいたい。でも、その前にハワイから帰ってきたら広尾で新しい店をオープンすることにシャカリキにならなくては‥‥という訳で、実はこの日記を書いているのは13日の午後なんだけど、予約投稿するので皆さんがこの日記を読む頃には23時40分羽田発JAL080便は不測の事態がなければ太平洋上空の筈。ホノルル空港到着は時差の関係で同じ13日の午前11時25分。一週間後には一日飛んでしまって日付が混乱するのでこの日記は日本時間に合わせて書くつもり。因みに今日の朝御飯はハワイでは絶対食べられない生卵かけご飯に自家製塩辛。それに青海苔の味噌汁にしてみた。さて、ハワイでは何をたべよう。母と俺の老老ハワイツアー、乞うご期待。