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京都で「神田神宮」?

祇園祭(後祭)の朝、チョッピリ早起きして鉾の町に行く途中の小路に「膏薬辻子(こうやくのずし)」の看板、、、

高札には、
天慶3年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が京都の町でさらされて以来、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨霊の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。
京都でも、空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音がなまり、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになった。

横の祠には「神田神宮」? 将門と言えば「神田明神」。神田明神といえば江戸・東京のイメージがありますが、こんな所にも将門を祀る塚が築かれていたとは、チョッとビックリ

明治2年(1869年)に「新釜座町」と命名されるまでは、地域の名称としても用いられた「膏薬辻子」とは、空也供養(くうやくよう) ⇒ 膏薬(こうやく)+辻子(ずし) ⇒ 膏薬辻子(こうやくのずし)と訛ったようですね

一旦 四条通りに抜けて、巡行の出番を待つ鉾の町に向かいます
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