緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

ESRDの緩和医療

2015年08月26日 | 教育

私は、大学を出てすぐの研修は、
腎臓外科という
透析、腎移植、一般外科、泌尿器科が集合した
診療科に席を置かせて頂いていました。

腎・肝・心臓。。
さまざまな臓器が障害を持ち、腎臓の透析を除くと
移植がその手立てとなるような病態となっていった時、
研修を始めたころ、
移植しか生きる手立てはありませんと
説明されることが大半でした。

その時、私の中では、
移植をしないとしても苦痛を保証されなければ、
移植をするかしないかということに対し、
ニュートラルな立ち位置で選択することはできないのではないか・・
という疑問を感じていました。

そうして、やがて臓器中心の医療から
緩和医療に方向転換をしていきました。




渡米先で初めて緩和医療に出会った時は、
心不全の患者さんが緩和ケアチームの支援を受けていました。




それから
ずいぶん経ちましたが、
日本でも、少しずつ、
非がんの緩和ケアというキーワードで
話題となることが増えてきました。


腎不全の緩和医療
腎不全は、
End-stage renal diseaseと呼ばれます。



1~2年ほど前、
関わっていた介護施設で、
ESRDで透析は導入しないと
意思決定された方がいらっしゃいました。

大動脈解離後の血行不全から
ESRDに至ったようで、
通常の腎不全の進行と異なり、
クレアチニン5位でしたが、
年単位で安定されていました。

次第に、認知症が進んでいきましたが、
とても、落ち着いた生活を続けられ、
施設スタッフの方々の関わりも見事で、
短期記銘力低下(もの忘れ)が
逆によい方向に作用したのか
多幸的で、ふわっとして、焦燥感のない、
素敵な時間を過ごされていました。

最小限の薬剤を用いながら、
苦痛をださないことに焦点を絞り、
時に、スタッフに
「何もしていない・・と思うのではなく、
 見守っているという感覚で」
と励ましながら、
ゆっくりとゆっくりと最期を刻んで行かれました。

せん妄を最小限にすることと
水管理が鍵となりますが、
がんの症状緩和とはかなり異なります。

でも、研修医時代の感覚は残っていて、
ともしびが消えるように見送ることができました。

介護施設のスタッフにとっては、
初めての看取りだったそうです。

水を入れすぎないこと、
不要な薬剤を使わないこと、
口のケアをしっかりとすること、
目を合わせて、きちんと微笑むこと、
嚥下をみて、ご本人が食べたい量でよいこと、
脱水になると焦って、沢山飲ませようとしなくてよいこと。

痛みのときに使う坐薬と
眠れなくて、どうしようもないときに使う坐薬と
頓用の使い方の指示は出していましたが、

到底、医療というより、
ケアというか、
支援の原点のようなことだけでした。




現場主義の私は、
自分で経験してみることで学べると嗜好していて、
その介護施設では、外勤日を使って、
これからの緩和ケアを考えるために、
お願いして経験させてもらっていました。

介護スタッフの方と過ごさせて頂いたあの時間は
私にとっても、宝物のような時間でした。

透析導入しない緩和ケア支援
を医療経験のない方々と共にできたということに加え、
認知症があっても、
あんなに幸せに最期の時を
生ききることができるのだということも
初めて経験できたことでした。

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4 コメント

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Unknown (きみ)
2015-08-28 02:33:55
苦痛緩和が十分に保障できる素晴らしさが改めて深く伝わってきました。
先生のおっしゃる、現場で経験するということも、立場は違いますがとても共感しました。

違う施設だとか部署だとか、そういうことにとらわれず、でも礼節を持って、様々な所で経験値をあげることを見習ってゆきたいと思います。
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きみさん (aruga)
2015-08-30 20:32:37
コメント、ありがとうございます。
そして、暖かな言葉に、さらに元気になりそうです。
緒方貞子さんが難民キャンプに足を運びご自分の目で確かめて動いていった国連難民高等弁務官としての姿勢に、私の現場主義は影響を受けています。
机上論で議論する前に、事実を肌で感じることは物事のスタートのあるべき姿勢のように思っています。
緒方さん、私の憧れの人です。
返信する
Unknown (ellie)
2015-09-12 16:29:24
先生、はじめして。

埼玉で獣医師をしている者です。

数ヶ月前に先生のブログに出会い、幾度となく元気をいただきました。

「ともしびが消えるように見送る」
まさにいま私の身近にあることなのですが、申し訳ありません、人ではなくて19歳になる私の飼い猫の話です・・・

薬剤は最低限にし、水は喉を潤す程度に入れ、食べることは本人(本猫)の意思にまかせ、あとは構いすぎないことに気をつけています。

黄疸で全身真っ黄色。
ここ2、3日、尿量も減ってきました。あと、数日かと思います。
しかし、血液検査の数値からは想像ができないほど、様子は穏やかで、少しですが餌を食べています。



自分の飼い猫だからできますが、通常の飼い主さんたちにこんなこと言ったら、「見放された」と感じるのかもしれません。

決して見放しているのではなく、最期まで寄り沿って行きたいのだということをうまくご理解いただけるように、緩和ケアのこと、これからたくさん勉強していきたいと思います。


人の医学を参考にさせていただきます。
先生のブログに出会えたことに感謝しております。






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ellieさん (aruga)
2015-09-13 18:04:56
獣医師の方が、このような形でブログをお訪ねくださっていることを知り、心が熱くなりました。

今まで心に留まっていなかったのですが、拝読しますと、動物たちへの症状緩和も尊厳を保つために、本当に大切なことだなあとしみじみと感じました。

19歳の猫ちゃんとなりますと、その年に近く一緒に生活されていたこととお察しします。医師として、家族としてケアされることは言葉以上に大変なことなのではないかと思います。疾病の進み方とケアする方々の心が同じように進んで行くことが大切で、そういう意味でも、本当に猫ちゃんが望まれるような道を一緒に歩まれているように感じました。
大切な時間が宝物になりますように・・
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