予防訴訟といわれる同訴訟は、都教委が2003年10月に「日の丸・君が代」の実施方法を細かく定めた通達(10・23通達)を出して教職員に起立・斉唱を強制したことに対し、その義務はないことの確認を求めて都立学校の教職員らが都と都教委を相手に起こしたものです。都立学校では通達にもとづいて校長が職務命令を出し、従わなかった教職員が毎年大量に処分されています(「しんぶん赤旗」2006年9月22日)。
国旗・国歌を職務命令で強制しなければならない国は、世界広しといえども日本くらいでしょう。保守・革新を問わず物事を突き詰めて考えない、考えてもあいまいなままに済ませるのが日本の政治の悪しき伝統です。第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられた「日の丸・君が代」は戦後憲法の成立とともに、国民的討議を経て新しい国旗・国歌にとって替わられるのが当然でした。ところが「日の丸・君が代」を戦後もそのまま継続することについてまともな国民的議論をしまいまま、1999年8月になって「日の丸・君が代」を国旗・国歌とする法律が成立しました。その時の国会審議では野中広務官房長官(当時)が一応「起立する自由もあれば、また起立しない自由もあろうと思う。斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思う」と答弁していました(1999年7月21日の衆院内閣委・文教委連合審査会)。
「『君が代』を歌いたい人は歌い、歌いたくない人は自分の思想・信条に従って判断して結構です」。今春の卒業式前日の予行演習で、東京都立農芸高校定時制課程の社会科教師が生徒に「内心の自由」について説明しました。この発言が「不適切な指導」だとして、都教育委員会は6月9日、この教師を「厳重注意」という事実上の処分にしました(他に6人が「厳重注意」)。
これまでに「10・23通達」違反で処分を受けた教職員は約350名にのぼります。石原都知事は「学習指導要領の中に、国旗は日の丸とする、国歌は君が代とするというきちっとした規定がある」と勝手なことをいったうえに「国旗・国歌の指導は違憲、違法なものでないとする都教育委員会の判断は至極妥当」と開き直って来ました((「しんぶん赤旗」2006年6月26日)。 今回の判決は、この石原都政の異常さを完膚なきまでに断罪しました。
東京地裁判決は「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」と指摘。教職員らに従う義務がないことを確認したうえ、通達違反を理由にした処分の禁止や1人当たり3万円の賠償も都と都教委に命じました。
原告側弁護団が強調しているように「教育基本法が生きているからこその判決。憲法・教育基本法がどんなに大切かを示した判決」でした。
まもなく始まる秋の国会で、安倍新自民党総裁は、教育基本法改正が最最重要法案だといっております。今回の判決では憲法・教育基本法改正を勝手に先取りする石原都政に鉄槌が下ったかたちとなりました。しかし、対倍従属下での軍事大国復活を狙う支配階級の執念は凄まじいものがあります。
自分の思想・信条を権力に売り渡さない品格ある大人の姿を子どもたちに見せるためも今度こそなあなあの精神はゆるされません。
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バランスこそダビンチの黄金律のように最高に美しいと達観しています。
私はアメリカで5年程西洋式教育を受けました。
それゆえ国旗がどのような国でも必ず一つだけ持っていることも知っています。
式場で(英語でセレモニー)は品格や礼儀というものがあります。
あなたが日本国旗やアメリカ国旗や中国国旗など世界にある国旗のシステムに反感を抱いている気持ちはよくわかります。
しかし、社会人には品格と、大人には礼儀というものがあります。
あなたがどの国のセレモニーに出席するのも自由です。
ただ、そのセレモニーの中で一人だけぶしつけに座ったままでは、あなたの品格と礼儀を失っています。
つまり美しくないのです。
国際的なオリンピックの会場のメダル授与などであなた一人が座ったままですと、きっと白人からは野蛮なアジア人に映ることでしょう。
さあ、みなさんセレモニーは自分の我がままを通すとこでなく、美しくあるべきところなのです。
それゆえ、背広やタキシードやドレスなどを着ているではないですか?
それが西洋、東洋をとわず人間社会の文化なのです。
文化とはクラッシック音楽のように美しいものなのです。
さあ、自分の行動が美しいとこ、あなたは正しいことをしているです。
それが黄金律、自然の摂理なのです。