水俣病は、5月1日、1956年の公式確認から50年を迎えます。しかし、いまも続く行政の怠慢のために、50年たったいまも、多くの被害者が病気で苦しみ、まともな補償を受けていません。しかも社会的偏見が持ちこまれるもとで「水俣病」と名乗りをあげられない被害者も多数存在しています。水俣病は、過ぎ去った「過去」の問題ではなく「現在」の問題です。
1956年5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ) . . . 本文を読む
goo blog おすすめ
最新記事
- 「日米同盟」と言うけれど 我々には「日本国憲法」という宝がある
- 「専守防衛」も「敵基地反撃」も「戦争」が始まれば国民の生活は地獄
- 北朝鮮核・ミサイル問題 軍拡と「米国」を叫ぶ日韓政府 笑いが止まらない米国
- 内閣改造と自民党役員人事 「統一教会との決別」の大ウソ
- ナンシー・ペロシ議長訪台 ペロシは「中国の夢だった」-トランプ
- 習近平-バイデン電話会談 中国VS米国の力関係を占うペロシ下院議長訪台問題
- 安倍晋三元首相の「国葬」をどう考えるか 法的根拠の問題と実質的評価の問題
- ムッソリーニ・ヒトラー・ヒロヒト 何故、ヒロヒトは生き延びることが出来たのか
- 台湾海峡への中国軍機大量出動 余裕しゃくしゃくの中国 内心びくびくの台湾
- 余命10日の岸田内閣に大騒ぎするマスメディアの異常